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4.聖武天皇の御代(724〜749)
4.13 厭魅呪詛(えんみじゅそ)の厳禁(天平元年(729)四月)
四月三日に天皇は次のような勅を出された。恐らくは前項で述べた長屋王の事件が引き金になったのじゃろう。
「内外の文武百官と一般人民のうちで、異端の道を学び、幻術を身につけ、厭魅呪詛(えんみじゅそ)して人を害し傷つける者があれば、主犯は斬刑に、従犯は流罪とせよ。また、僧尼のうちで、山林に住み着き、仏道修行と偽って邪法を学び、それを伝えて呪法を授け、呪文を書いて封印し、あるいは薬を調合して毒薬を作り、種々の怪しげなことをし、詔で禁じていることを犯す者があれば、罪は同罪とせよ。さらに、妖術などの書物は、この勅が出てから五十日以内に届出よ。もし、期限内に届けずに、後に密告された者があれば主・従を問わず皆ことごとく流罪とする。密告したものには絹三十匹を褒賞としよう。その絹は罪人の家から徴する」
いかがかな、朝廷が厭魅呪詛いわゆるまじないで人を呪う行為を恐れていたことが分かるじゃろう。この勅は三つの部分からなっておる。まずは一般人を対象としたもの、僧尼に対するもの、そしてまじないの書物(妖書)の所有じゃ。僧尼とは行基の率いる集団との指摘もあるようじゃが、もっと広くその他の僧尼にたいしても禁止していると考えるべきじゃろう。言いかえると全国民を対象としているわけじゃ。それほど広く厭魅呪詛が行われていたと言うことなのじゃ。厭魅は、人形(ひとがた)などにより他人に危害を加えるまじないであり、呪詛はそれを用いて呪うことである。養老律令の賊盗律17によれば呪詛で人を殺そうとすれば懲役刑、もし死ねば殺人罪で斬刑となっておる。また、賊盗律21によれば妖書を作れば遠流、またそれを用いて民衆を惑わせても遠流となっておる。
このように律によって厭魅呪詛の刑罰が定められておると言うことは、厭魅呪詛が一般に広く行われており、それが有効であると考えられておったからじゃ。誰じゃ、「そんなに効き目があるのなら身につけたい」などと言う奴は。「人を呪わば、穴二つ」という。朝廷が禁じるように、決して良いことではないからの。ただし、科学の進歩に反比例して呪いの効果は減少してきたようじゃ。
(追記)この項目(4.13)をとばしていました。したがって、「天平と改元」は4.14で、「光明皇后誕生」が4.15です。訂正させて頂きます。失礼しました。
http://www12.ocn.ne.jp/~koushin/
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