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白川郷その四

 投稿者:那須の権太  投稿日:2009年11月 7日(土)18時08分46秒
   ここの人々は民宿や土産物屋などで生計を立ててゐるやうでした。水田もありますが平野部のやうな廣大なものではありませんので。

 山は(寫眞下)のやうな感じでした。この寫眞は白川郷より奧へ入つたところです。

 ではこれで今囘の旅寫眞の掲載を終ります。有難う御座いました。
 

白川郷その三

 投稿者:那須の権太  投稿日:2009年11月 7日(土)17時38分54秒
   見學用の建物以外はごく普通に人々の暮らしがありますね。
 それにしても觀光客がすごい數です。平日でしたが本通りに沿つて幾つかある駐車場はどこも滿杯で、しかたがないので村外れの臨時駐車場に止めるはめになりました。
 

オロモルフ号の航宙日誌3954『世相家事雑感』

 投稿者:オロモルフ  投稿日:2009年11月 7日(土)12時59分13秒
  ▼次郎柿

 そろそろお店には柿が売っているようになりましたが、うちの次郎柿はまだまだです。たぶん今月末にならないとダメでしょう。
 下手すると霜でやられてしまいます。
 霜でやられますと、その後いくら待っても熟さなくなります。
 ですからやや早めに収穫して家の中に置くのですが、その時期がじつに微妙で難しいです。
 一方野鳥はそんな事にはおかまいなく、毎日突いており、もう四つか五つは皮だけになっております。
 人間用にも残しておいてほしいなあ・・・。

 ↓↓↓↓↓
 

オロモルフ号の航宙日誌3953『日露戦争と無線電信80』

 投稿者:オロモルフ  投稿日:2009年11月 7日(土)12時56分57秒
編集済
  ▼日本海海戦における三笠の無線電信機の損傷19

 山本英輔が記録した日本海海戦の無線電信(其の一)

◎山本英輔の略歴

 明治9年5月15日生。昭和37年7月27日没。
 海兵24,海大5。
 日露戦争時第二艦隊参謀/大正8年軍令部参謀/大正10年艦政本部第二部長/大正12年海軍大学校長/大正13年第五艦隊司令官/大正14年軍令部/大正15年練習艦隊司令官/昭和2年軍令部・初代航空本部長/昭和3年横須賀鎮守府長官/昭和4年第一艦隊兼聯合艦隊司令長官/昭和6年軍事参議官・海軍大将/昭和9年議定官/昭和11年予備役
 山本権兵衞海軍大臣・総理大臣の甥だが閨閥とは関係なくきわめて有能な軍人として知られました。とくに注目すべきは技術面における先見性で、無線電信技術の開発・海軍航空の生みの親・通信関係の教育制度の確立など、多くの業績をあげました。日露戦争のときも無電技術で多くの実験を独自になして電離層発見の一歩手前まで行き、海軍では夜間になると電波が遠くへ届く現象を「山本現象」と呼びました。
 二.二六事件では微妙な立場でそれが退役を早めたとも言われます。一時は総理大臣候補とも言われたそうです。

◎無線電信の訓練

 新しい技術に興味を持つ人であり、第二回の士官のための無電訓練を水雷術練習所で受け、明治35年1月22日に修了しました。第一回は東京の海軍大学校構内ですから、横須賀でなされた訓練の最初を受講したわけです。

◎遣英使節の随艦に乗る

 この年、イギリスの王位を前年継いだエドワード七世の戴冠式が挙行されることになり、当時日英同盟を締結したばかりの日本は最大限の敬意を表するため戴冠式参列の日本代表として小松宮彰仁親王殿下をお願いし、お送りするために遣英艦隊が組織されました。それは同時にこの年の1月30日に調印発効した日英同盟の内容を詰める会議をロンドンで開催するためでもありました。
(このため陸軍では随員として福島安正参謀本部第二部長を同乗させて派遣しました。会議は伊集院五郎と福島安正が出席したわけです。このような努力の結果として、日露戦争で効果の上がった日英間の協定が出来あがったのですね。むろん山本権兵衞が強力に牽引したようです)
 遣英艦隊の指揮は当時の常備艦隊司令官伊集院五郎がとり、親王殿下は司令官とともに一等巡洋艦「淺間」にお乗りになりましたが、これには二等巡洋艦「高砂」が随いました。
(「淺間」は明治天皇の御召艦にも何回かなったことがあります)
 無線電信を習得したばかりの山本英輔(開戦時海軍大尉)は「高砂」に分隊長として乗り、出来たばかりの三四式無線電信機を設置して取り仕切りました。
(取り仕切ったといっても無電機を扱えるのは使節団で山本英輔しかいなかったと思います)

◎マルタ島での貴重な体験

 遣英艦隊は明治35年4月7日に横須賀軍港を出港。航路の途中で山本英輔は盛んに無電機を操作したようですが、物足りないものを感じたようです。とくにイギリスの無電機と比較する場面が有ったらしく、日本の無電機は劣勢だと悟りました。
 5月の末になって「淺間」と「高砂」は地中海に入り、5月27日にマルタ島に到着し31日に出港しましたが、マルタ島は英国海軍の基地であり、そこに英国軍艦が停泊しており、山本英輔は日英同盟の効果で、最大限見学させてもらえました。
 その結果として、山本は、日本の三四式が英国式にかなり劣っていることを痛感しました。また受信用のコヒーラを借りて実験してその優秀性を認識したりもしたようです。
 戴冠式参列(たぶん夏)を終えた小松宮殿下を乗せた遣英艦隊は8月末にイギリスを発ち、11月28日に横須賀に無事帰港しました。
 貴重な体験を得た山本英輔は、三四式無電機と英国無電機の性能を比較して、三四式は早急に改善を図る必要があるとの長大な意見書を書いて海軍省に提出しました。

[続く]

▼山本英輔肖像
(後の時代の写真です)

 ↓↓↓↓↓
 

Re:白川郷その二

 投稿者:オロモルフ  投稿日:2009年11月 7日(土)12時47分6秒
  五階建ての萱葺きとは凄いですね。骨組みはどうなっているんでしょうか。
清流もすばらしいですね。
昔は東京原宿の原宿川にも魚が泳いでいたそうですが、私が物心ついたころにはもう何もいませんでした。(今は暗渠になっていて川そのものが見えません)
 

Re:4.16 福引き(天平二年(730)正月)

 投稿者:オロモルフ  投稿日:2009年11月 7日(土)12時46分7秒
   そうでしたか!
 宴席でのくじ引き賞品は奈良時代からちゃんと有ったのですね。
 たぶんその前からなんでしょう。
 世の中には、こういう事になると妙に張り切る人っていますね!
 幹事になってくじ引きするのが生き甲斐だったりして・・・。
 

白川郷その二

 投稿者:那須の権太  投稿日:2009年11月 7日(土)11時52分36秒
  (寫眞上)
 この建物は明善寺の隣にあつてお寺の庫裡になつてをり、郷土館を兼ねてをりました。中は五層になつてをります。
 ここは荻町といふ集落ですが、この集落の中でも最大級の建物で、縣指定の重要文化財です。

(寫眞中)
 神田家の建物。中を見學させてもらえます。有料ですが。

(寫眞下)
 道路脇の堀には清流が流れ、鱒などが群をなしてゐました。
 

奈良時代にこんなことが−一言主大神は語る

 投稿者:ハチマキおじさん  投稿日:2009年11月 6日(金)19時50分14秒
  4.聖武天皇の御代(724〜749)

4.16 福引き(天平二年(730)正月)
 正月十六日は、踏歌(とうか)節会で、足を踏みならしながら歌う宮廷宴会が開かれる日じゃ。この日の『続日本紀』は、次のような記事を載せておる。
「天皇は、大安殿に出御して、五位以上の官人を召して節会の宴を開かれた。夕方、皇后宮に移られた。百官の主典(さかん)以上は天皇に従い、踏歌を奏しながら皇后宮に向かった。天皇は官人を宮内に引き入れ、酒食を賜った。また、短籍(たんじゃく)を引かせた。短籍には、仁・義・礼・智・信の五文字が書かれており、その文字に従って物を賜った。仁を得た者には絁、義には糸、礼には綿、智には布、信には常布(じょうふ:商品用の布)が与えられた」
当時の皇后宮は、もとの藤原不比等邸で、平城宮の東隣にあり、後に法華寺となったところじゃ。大安殿からそこまで、踏歌の列が進んだわけじゃ。そして、踏歌の宴の一環として、福引きが行われたのじゃ。短籍は、短尺とも書き、短冊のことじゃよ。多くの木簡のいくつかに、仁・義・礼・智・信と書かれた木簡が混じっており、これを引き当てると賞品が下賜されたわけじゃ。短籍については、『続日本紀』の中でもこの記事にしか見られないが、福引きが踏歌節会の余興としてしばしば行われておったようじゃ。このような福引きはいつ頃始まったのじゃろうか。

 にぎやかに踏歌を奏して、高揚した気分の中で行われた福引きじゃ。当たったと言って歓声が上がり、はずれを引いては笑い声があがる。さぞかし盛り上がったことじゃろう。平和で楽しい正月の雰囲気が彷彿とされるようじゃ。それにしても、当たり籤が仁・義・礼・智・信とは、何とも道徳的で、籤のギャンブル性とのミスマッチが面白いじゃろう。

http://www12.ocn.ne.jp/~koushin/

 

オロモルフ号の航宙日誌3964『静電誘導法と変位法2』

 投稿者:オロモルフ  投稿日:2009年11月 6日(金)12時15分47秒
   静電誘導法による無線通信の話ですが、説明が分かりにくかったかも知れませんので、ヘタな図を描いてみます。

  1          2      3(2〜3は同一導体)
 (+)        (−)−−−−(+)

 1の地点に、何らかの方法で+の電荷を起きますと、その先にある導体(金属)2〜3にも電荷が生じます。1に近い方にマイナス、遠い方にプラスの電荷が生じます。
(2と3はつながっています)
 これが静電誘導で、電磁気学の初歩なのですが、これを利用して無線通信をしようという考えが古くにあり、エジソンが走る列車との通信に成功したという話があります。
 で、この静電誘導を利用した無線通信は、理屈からは容易に考えられます。
 1の電荷をいじって、マイナスにするとかゼロにするとか、位置を大きくずらすとか、すれば、その影響で導体2〜3の電荷も変化します。
 その変化を検出すれば、情報が伝達するわけです。

 で、オロモルフの疑問なのですが、情報が伝達するには量はわずかであってもエネルギーが伝達しなければなりません。
 この方法だと、どういうメカニズムでエネルギーが伝達しているのでしょうか。
 ひとつ考えられるのは、マクスウエルが想定し後に確認されたという変位電流です。
 1を動かせば、それによる電場はかならず変化します。電場が変化するとdD/dtが価を持ちますから、変位電流が発生します。
 この変位電流自体が変化すれば、情報が送れるわけです。
 そういうわけで、「静電誘導による無線」は「変位電流を応用する無線」と同じことなのだろうか――というのが、私の疑問なのです。
 

オロモルフ号の航宙日誌3963『静電誘導法と変位法1』

 投稿者:オロモルフ  投稿日:2009年11月 6日(金)12時14分12秒
   電磁気学に強い方がおられたら、どうか教えてください。
 昔から言われている電波を使わない無線通信法ですが、ある分類では、これを、

A 導電法
B 誘導法
 1 電磁誘導法
 2 静電誘導法

 ――のように分けています。

 このうち静電誘導法は、エジソンが走る列車との間の通信を成功させた方法がこれだったのだろうと言われています。本当かどうかは知りませんが。
 しかし疑問に思いますのは、静電誘導はあくまでも静電ですから、そのままではエネルギーは伝わりませんし、したがって情報は伝わりません。
 こちら側の電荷を何らかの方法で動かし、それによって相手側の電荷を変化させる必要があります。そうすると厳密な意味では静電ではなくなります。
 動かしますと、電場の変化が生じますから、dD/dtが価を持ち、変位電流が流れ、磁場が生じます。
 したがって静電誘導法でもし無線通信が可能だとすれば、それは必然的に変位法になるのではないか――という疑問なのです。
 あるいは、変位電流とは別の形で情報が伝わる静電誘導法があり得るでしょうか?

 最近は考える能力が激減しておりますし、身近に相談相手もいないものですから、ご意見をうかがいたいのです。
 

オロモルフ号の航宙日誌3962『世相家事雑感』

 投稿者:オロモルフ  投稿日:2009年11月 6日(金)12時05分13秒
  ▼批判

 早朝のテレビを見ていますと、ようやく民主党批判が出始めましたね。
 視点はいろいろですが、司会者もしぶしぶ批判めいた事を言うようになりました。
 アメリカ大統領は怒ったフリをして来日を中止すればいいのにと思いますけど、オバマ大統領も芯の無い人のようで、アメリカでぐんぐん支持を減らしているようですね。
 口先男のように見えます。
 口先男vs宇宙人では、おそらく、不毛な来日になると思います。

▼チャンネル桜の掲示板

 出来た当時は私もいくつかのスレッドに書き込んでおり、勉強にもなりました。たとえば歌謡曲ファンの集まりとか靖国問題とか・・・。
 しばらくして、わたしが質問してもまったく無視されるので、一度は遠ざかりましたが、また復活してみようと、ある有能な方のスレッドに入れていただきましたが、まぜっかえす人がいたので嫌になり書き込みは中止しました。しかし勉強になる面はあるので、しばらくは見ておりました。
 ところが、去年あたりから、見かけは保守論客のようだが実態はそうではなさそうな人たちどうしのいがみ合いがあっちでもこっちでも始まり、ウンザリして、たまにしか見なくなりました。
 昨日チラッとみたら、またまたやっておりました。正直、正視に耐えない状況です。
 あのサイトの寿命はもう終わったと思います。はやく閉鎖しないと、無色透明な人たちや免疫の無い若者たちが保守論壇を嫌悪するようになるのでは、と心配です。

▼日本シリーズ

 清原と新庄の解説はおかしかったですね。
 漫才解説。
 アナウンサーが慌てるような発言が続出でした。
「野村監督の解説聞いてたら眠くなって寝てしまったよ」
「あいつのシュートは打てないので寿司をおごって「俺には投げるな」と言ったら投げなくなった。あいつはいい男だよ」
 ・・・などなど・・・。

▼温州ミカン

 もう食べられるようになりましたが、食べちゃ勿体ないので、眺めております。

 ↓↓↓↓↓
 

オロモルフ号の航宙日誌3961『小学生の日本神話287』

 投稿者:オロモルフ  投稿日:2009年11月 6日(金)12時02分32秒
  ▼『古事記』の神話 上巻 大国主神9

<二、根の堅州国を訪問3>

 神産巣日之命によって派遣された△貝比売は、焦げて焼け石に貼り付いていた大穴牟遅神の身体をこそげ落として集めました。
 同じく派遣された蛤貝比売は、それに母乳を塗って生き返らせました。
 大穴牟遅神は、たちまち立派な青年になって、歩き出しました。
 これを見た兄弟神たちはさらに怒り、また殺そうと相談しました。

[続く]
 

Re:白川郷その一

 投稿者:オロモルフ  投稿日:2009年11月 6日(金)12時01分29秒
   那須の権太さん、ありがとうございます。
さすがは白川郷ですね。お寺さんも鐘楼も萱葺きなんですね。
ところでコントロール+エンドですが、一太郎で試してみたら、同じように機能しました。
共通する機能なのですね。知りませんでした。
 

白川郷その一

 投稿者:那須の権太  投稿日:2009年11月 5日(木)19時48分30秒
  オロモルフ樣

 ショートカットキーは機種によつて使ふキーが若干異なるやうですね。Endの代はりにHomeを使ふとトップに戻ります。ワードばかりでなく、例へばこの板でも使へますから、他の皆さんもやつてみて下さい。自分の投稿を編輯したいときなど一發で最下段へ飛べますから便利です。(え?そんなの知つてるつて?こりや失禮しました・・。)

 ところで、那谷寺の名の由來ですが、先生の仰る通りです。で、名付けた方が花山法皇なのですね。寛和二年ださうです。それまでは開祖泰澄法師の命名で、岩屋寺と呼ばれてゐたさうですね。往時は寺院二五〇ヶ坊に及ぶ隆盛ぶりだつたさうです。
 その後、謂はゆる南北朝の爭ひや一向一揆などで燒き盡くされて仕舞ひました。暫く興廢したまゝだつたやうですが、江戸寛永年間にそれを嘆いた加賀藩主前田年常公が後水尾天皇の敕命を仰ぎ復興させたとのことですね。

 さて、「白川郷」です。合掌造りです。
 合掌造り集落は岐阜県大野郡白川村の他、富山県南砺市の五箇山(ごかやま)があります。どちらも世界遺産です。

(寫眞上)
 こんな感じで立ち竝んでゐます。

(寫眞中)
 これお寺です。眞宗大谷派明善(みょうぜん)寺。お寺も萱葺きですね。

(写真下)
 これは明善寺の鐘楼です。こちらも見事な萱葺き屋根です。
 

オロモルフ号の航宙日誌3960『世相家事雑感』

 投稿者:オロモルフ  投稿日:2009年11月 5日(木)11時30分17秒
  ▼疲れてしまって・・・

 今日はお休みです。
 昨日はインフルエンザの予防注射をしに、近くの医院まで行きました。インフルエンザといっても新型ではなく普通の方です。一ヶ月前に予約しておきました。
 で、夕方薄暗くなってから行ったのですが、待合室はマスクをして咳をしているような人で満員で、あと一時間以上と言われて、座る場所も無いのでいったん家に帰りました。
 で、しばらく休んでから出直し、なんとかすませました。
 往復に徒歩30分以上かかる所なので、暗くなってから一時間以上歩いたことになります。
 それが昨日で、その前の一昨日は、急にカラーコピーを取る必要が生じて、駅の近くのコンビニまで行きました。そこでカラーコピーを5700円分も取って家に帰り、それから蘭姫の散歩に行きました。
 合計して二時間くらい続けて立ったり歩いたりしたことになります。
 そういうわけで、すっかり疲れてしまったのです。
 とくにコンビニのコピー機の前に立っていた時が、一番疲れました。家内に手伝ってもらったのですが、家内も気分が悪くなってきたようです。
 空気が悪いんでしょうか。
 そういうわけで、今日は日本神話も日露戦時の無電機の話も書く元気がありません。
 すみません。

▼訃報

 訃報が届きました。
 大学で同クラスだった友人がまた一人鬼籍に。
 アメリカンフットボールの選手で理学博士という文武両道の快男児でした。
 クラスメートも次第に減り、ずいぶん寂しくなりました。
 

Re:誰〜もイギリスの刑事司法制度のことは言わない(11)

 投稿者:オロモルフ  投稿日:2009年11月 5日(木)11時27分20秒
   なるほど、国によって大きく違うことは理解できます。
 これに共産諸国や元共産圏も加わりますし、アラブ諸国もありますし、ずいぶん変化に富んでいると思います。
 中国では拷問が凄いという体験者の話も聞きましたし・・・。
 特許制度の歴史を前に調べましたが、法律が出来る前段階ではフランスの影響も有ったようですが、アメリカ在住経験のある高橋是清によってアメリカに近い形が出来、しばらくしてドイツに極めて近い形になって、ずっと続きました。
 戦後はアメリカの強引な裁判戦術によって辛酸をなめ、苦労続き。
 日本の裁判制度は、やはり日本の長い歴史に基づいた独自の思想を持つべきですね。
 

最後の文字まで

 投稿者:オロモルフ  投稿日:2009年11月 5日(木)11時26分14秒
  那須の権太さん、ありがとうございます。
ためしにコントロール+エンドでやってみたら、出来ました!
 

誰〜もイギリスの刑事司法制度のことは言わない(11)

 投稿者:解法者  投稿日:2009年11月 4日(水)13時25分27秒
   最後に、日本の「人権主義者」がイギリスの刑事司法制度のこと
は言わない理由をもう一度おさらいしてみよう。
1.イギリスでは「三権分立」が確立しておらず、議会(立法府)、
 政府(行政府)の二元体制となっており、裁判権はその下に立つ。
2.法曹が「ソリシタ」という特権階級により形成され、上級裁判所
  の「裁判官」も彼らに独占されており、民主的が運営がなされていない。
3.裁判の主要を占める「治安裁判所」は一定の階級、つまり富裕層
 などから成る「素人裁判官」の手によって構成されている。
4.逮捕・捜索の令状が捜査機関独自で発布できる。
5.黙秘権の保障がない。

 法制度に限らず、制度というものはその国の長い間の歴史・文化
そして民族性に裏づけされたもので、どの国の制度が優れているなど
と言うのは間違っている。例えば、アメリカ・イギリスなどの英米法
諸国では被疑者・被告人の人権が最優先され、事実の究明はその上
に立つという法思想が培われている。これに対し、フランス・ドイツ
などの大陸法諸国では真実の究明こそが至上目的とされ、被疑者・
被告人の人権はそれに立った上でのものとされる。つまり、真実
究明がなされれば、自ずから冤罪などが無くなり被疑者・被告人
の人権がまっとうされるというのである。前記のとおりイギリス
ではこうした偏った人権主義が真実究明のみならず治安の悪化を
招いているとしてその思想を修正しつつある。これもその依って
立つ法思想も変革を許さない磐石なものではなく、時の政治情勢・
社会情勢によって揺れ動いていることを示している。日本もかつて
は大陸法思想を基盤としていたが、アメリカの侵略により英米法
思想が採り入れられた。しかし、長い間の法思想はそう簡単に
しかも劇的に変革できるものではなく、大陸法思想と英米法思想
が並存しているという世界的に見ても極めて珍しいものとなって
いる(そのため、欠陥も露呈している)。
 

最後のページの表示

 投稿者:那須の権太  投稿日:2009年11月 4日(水)13時04分41秒
  オロモルフ樣

最後のページといひますか最後の「文字」まで一氣に飛ばすには、「Ctrlキー」+「Fnキー」+「Endキー」では如何でせうか。
 

オロモルフ号の航宙日誌3959『世相家事雑感』

 投稿者:オロモルフ  投稿日:2009年11月 4日(水)11時27分30秒
  ▼昨日のこと

 昨日は最近では珍しく良い事がありました。
 これまで半分は諦めていた資料が、入手出来たのです。
 といっても、インターネットからのダウンロードでは字がぼやけていて読めない資料の、読める複写が入手できたという、ふつうの人から見るとバカバカしい話なんですけど。
 そのほかにも良いニュースが有ったのですが、またいずれ・・・。

 世の中はますます変になっていて、子孫が気の毒でなりません。
 私も責任を感じますけど、出来る事には限界があり残念です。
 まあ私としては、若い人が日本人としての誇りを持ってくれるような本を書いて後世に残したいと思っております。それしか出来ませんので・・・。

 子孫といえば、孫の将棋はドンドン強くなっています。もう私とたいして変わらない実力になってきました。
 これは漫画の効果ですね。
 漫画将棋入門という本を与えたら、とてもよく分かったらしく、熱心に読んでおります。文字だけの本は、内容がいくら易しくてもダメです。表現が易しく文字が易しくてもダメなのです。また、同じ漫画でも、解説漫画ではダメです。漫画将棋入門という本は、妖怪なんかが出てくる冒険漫画の中に将棋の話が組み入れられているのです。
 良書だなあ・・・(笑)

▼鬼ユズ続き

 まったく変わり映えしなくて恐縮です。

 ↓↓↓↓↓
 

オロモルフ号の航宙日誌3958『日露戦争と無線電信79』

 投稿者:オロモルフ  投稿日:2009年11月 4日(水)11時24分58秒
  (ちょっと横道に入りますが、日露戦争における無電の最初を調べてみます)

▼日露戦争最初の無電

 日露戦争における最初の海底ケーブル使用としては、前に『国際通信の日本史』に書きましたが、明治三十七年一月十五日の夕刻、沖縄丸の決死の敷設で、佐世保から八口浦までの海底ケーブルが完成しました。
 この完成を知らせる電報を八口浦から佐世保の聯合艦隊まで打電したはずで、これがおそらくは日露戦争における最初の海底ケーブルによる軍事電報だったと思います。
 むろん練習や事務連絡の類は別です。

 では、無電の最初は何だったのでしょうか。
 明治三十七年の一月ごろに、それまでの三四式無電機を三六式に改修したり新設したりする仕事が急ピッチで進められ、一月の終わりには主要軍艦への三六式装備は完成していたようです。
(ただしこの時期にはまだ生産が間に合わないため三四式のままの軍艦もありましたし、三四式の一部を三六式部品に取り替えて性能向上を図った準三六式もありました)

 無電機据付時の検査や練習のための無電送受は別にして、軍事連絡としての無電の最初の記録は、少なくとも旗艦三笠としては、二月八日のようです。
「軍艦三笠戦時日誌」の明治三十七年二月八日の條に、次のようにあります。

**********

此日午後四時左ノ無線電信命令アリタリ
 戦隊ハ今夜ノ予定航路ヲ変シ、午後六時迄前進シテ六時ヨリ速力ヲ十海里トナシ、
 左十六点ニ正面ヲ変シ午後八時右八点ニ正面ヲ変シ、午後十時北八十五度西ニ変針、
 午前五時北十五度西ニ変針、老鉄山ニ向フ 針路ノ変換ニハ信号ヲ用イス
 其時刻ニ至レハ先頭隊ヨリ逐次ニ変針スルモノトス
 序列ハ第三戦隊先頭トシ、第一、第二戦隊之ニ次ク 各隊ノ間隔ハ三千米突トス

(八点は90度、十六点は180度。老鉄山は旅順のある遼東半島先端らしいです。聯合艦隊司令長官は三笠に乗っていますから、その命令は三笠の無電機から出ているのですが、三笠そのものもやはり聯合艦隊司令長官からの命令を受けて運航しているわけです。つまり東郷司令長官と長官が乗っている三笠とは別の次元なのですね。聯合艦隊は六日に佐世保を出撃、この無電のあった八日から翌日九日にかけての旅順攻撃が日露海戦の最初です)

**********

▼参考図

 上の記録がたぶん、戦闘開始されて最初の軍事無電だと思います。
 この無電で指示された航路の図は写真(上)の通りです。
 また、戦闘開始直前に敵味方が遭遇した時の識別のための暗号が決められました。それが写真(下)です。
 右から、旗旒信号用、発光信号用、手燈用、言語用です。
 こういう種類の符丁、暗号もほとんどすべて秋山眞之が決めたらしいですね。若い参謀が手伝いましたが。とにかく秋山眞之の当時の仕事量は凄まじいものがあったらしく、戦後疲れが出たのは当然です。
 

Re:那谷寺

 投稿者:オロモルフ  投稿日:2009年11月 4日(水)11時19分15秒
   なるほど、そういう奇岩絶壁の山にあるのですか!
 重要文化財がいくつもあるお寺なのですね。
 仏教辞典で見ると芭蕉の句に、
「石山の石より白し秋の風」
 ――とあるそうですね。
 あと、名前の由来は、西国三十三所の一番那智山と結番谷汲山の頭文字をとったとか。
 ところで私はワードというのは初めていじるのでとまどっているのですが、ある文書(ファイル)の最後の頁を簡単に出すには、どういう方法があるのでしょうか。いまは順にずらして最後を出しているので、いささか面倒なのです。
 

Re:4.13 厭魅呪詛(えんみじゅそ)の厳禁(天平元年(729)四月)

 投稿者:オロモルフ  投稿日:2009年11月 4日(水)11時17分40秒
   たしかに、呪詛の効果が信じられていた時代では、これは恐ろしい事だったでしょうね。
 こういうものが信じられなくなってきたのは、いつごろからなんでしょうか。
 もっとも現在でも信じている人はたくさんいて、だからテレビの超常現象番組が廃らないのでしょうけど。
 呪詛が効果を持つ話をSFとすると、源氏物語もSFになるんです!
 

那谷寺その二

 投稿者:那須の権太  投稿日:2009年11月 3日(火)22時42分55秒
  オロモルフ樣

永平寺の梵鐘の音は、やはりとても腹に響く重厚なものでした。安い鐘はカランカランと、それはそれはとても輕い響きですよね。(笑)

那谷寺つゞきます。

(寫眞上)
 「奇岩遊仙境」と謂ひます。まるで水墨畫のモチーフのやうな景觀ですよね。本殿もこのやうな岩窟の中にあります。

(寫眞中)
 那谷寺三重の塔です。これも國指定重要文化財です。

(寫眞下)
 那谷寺山門です。

以上、那谷寺の寫眞はこれでお終ひです。この時間にはもう疲れてしまつて撮る氣力がなくなりました。(とほほ・・)

次囘は世界遺産「白川郷」です。
 

奈良時代にこんなことが−一言主大神は語る

 投稿者:ハチマキおじさん  投稿日:2009年11月 3日(火)17時10分40秒
  4.聖武天皇の御代(724〜749)

4.13 厭魅呪詛(えんみじゅそ)の厳禁(天平元年(729)四月)
 四月三日に天皇は次のような勅を出された。恐らくは前項で述べた長屋王の事件が引き金になったのじゃろう。
「内外の文武百官と一般人民のうちで、異端の道を学び、幻術を身につけ、厭魅呪詛(えんみじゅそ)して人を害し傷つける者があれば、主犯は斬刑に、従犯は流罪とせよ。また、僧尼のうちで、山林に住み着き、仏道修行と偽って邪法を学び、それを伝えて呪法を授け、呪文を書いて封印し、あるいは薬を調合して毒薬を作り、種々の怪しげなことをし、詔で禁じていることを犯す者があれば、罪は同罪とせよ。さらに、妖術などの書物は、この勅が出てから五十日以内に届出よ。もし、期限内に届けずに、後に密告された者があれば主・従を問わず皆ことごとく流罪とする。密告したものには絹三十匹を褒賞としよう。その絹は罪人の家から徴する」
いかがかな、朝廷が厭魅呪詛いわゆるまじないで人を呪う行為を恐れていたことが分かるじゃろう。この勅は三つの部分からなっておる。まずは一般人を対象としたもの、僧尼に対するもの、そしてまじないの書物(妖書)の所有じゃ。僧尼とは行基の率いる集団との指摘もあるようじゃが、もっと広くその他の僧尼にたいしても禁止していると考えるべきじゃろう。言いかえると全国民を対象としているわけじゃ。それほど広く厭魅呪詛が行われていたと言うことなのじゃ。厭魅は、人形(ひとがた)などにより他人に危害を加えるまじないであり、呪詛はそれを用いて呪うことである。養老律令の賊盗律17によれば呪詛で人を殺そうとすれば懲役刑、もし死ねば殺人罪で斬刑となっておる。また、賊盗律21によれば妖書を作れば遠流、またそれを用いて民衆を惑わせても遠流となっておる。

 このように律によって厭魅呪詛の刑罰が定められておると言うことは、厭魅呪詛が一般に広く行われており、それが有効であると考えられておったからじゃ。誰じゃ、「そんなに効き目があるのなら身につけたい」などと言う奴は。「人を呪わば、穴二つ」という。朝廷が禁じるように、決して良いことではないからの。ただし、科学の進歩に反比例して呪いの効果は減少してきたようじゃ。

(追記)この項目(4.13)をとばしていました。したがって、「天平と改元」は4.14で、「光明皇后誕生」が4.15です。訂正させて頂きます。失礼しました。

http://www12.ocn.ne.jp/~koushin/

 

オロモルフ号の航宙日誌3957『文化の日』

 投稿者:オロモルフ  投稿日:2009年11月 3日(火)11時36分51秒
   今日は快晴で、国旗が青空に映えています。
 テレビで騒々しいタレントを見ていますと、日本の文化ってどこへ行ってしまったのか、と思いますけど・・・。
 

オロモルフ号の航宙日誌3956『世相家事雑感』

 投稿者:オロモルフ  投稿日:2009年11月 3日(火)11時34分59秒
  ▼給湯器設置

 昨日は朝からこれだったので、すっかり疲れました。
 蘭姫もずっと小屋の中。
 相当な出費ですが、しかたありません。
 これがないと風呂が沸きませんから・・・。
 ああ金欠病!
 減額年金からさらに介護保険料をたっぷり引かれて、ちっとも面倒を見てもらえません。

▼ドラゴンズが六選手に戦力外通告したそうです。

 中里篤史投手(27)
 中村公治外野手(28)
 小川将俊捕手(30)
 佐藤亮太投手(26)
 菊地正法投手(25)
 樋口賢投手(19)

 みんな入った時は期待された選手なんですけど、芽が出ませんでした。
 このうち上の五人は必死にやったけどダメだった。
 最後の選手は自分から辞めてしまったらしいです。自信を失ったのでしょう。
 諸行無常です。

▼鬼ユズ

 べつに鬼ユズが好きなわけではないのですが、目立つのです。

 ↓↓↓↓↓
 

オロモルフ号の航宙日誌3955『小学生の日本神話286』

 投稿者:オロモルフ  投稿日:2009年11月 3日(火)11時31分8秒
  ▼『古事記』の神話 上巻 大国主神8

<二、根の堅州国を訪問2>

 大穴牟遅神が焼け石に張り付いて死んでしまったのを知った母親の刺国若比売は嘆き悲しんで天に参上し、神産巣日之命(*1)に訴えました。
 すると神産巣日之命は、すぐに、△(刮の下に虫)貝比売(きさかいひめ/*2)と蛤貝比売(うむかいひめ/*3)を地上に遣わして、大穴牟遅神を生き返らせるようになさった。

*1:造化三神の一柱。もっとも原初の神。

*2:△貝(きさかい)は赤貝のことだそうです。で、「きさぐ」とは「こそげる」という意味で、赤貝の殻には刻(きさ)があるので言うそうです。ですから△貝比売は赤貝の擬人化で、「こそげる」能力を持っていることになります。

*3:蛤の擬人化。蛤(うむ)と母・乳母(おも)をかけているらしいです。

[続く]
 

re:那谷寺その一

 投稿者:オロモルフ  投稿日:2009年11月 3日(火)11時25分55秒
  那須の権太さん、つぎつぎに寺院めぐり、ありがとうございます。
那谷寺ってわたしは知らなかったので、仏教辞典を見てみました。
昔から有名なお寺で、芭蕉が句を詠んだりもしているのですね。
国の重要文化財の建築物もあり、歴史を感じます。
 

那谷寺その一

 投稿者:那須の権太  投稿日:2009年11月 2日(月)20時25分54秒
   永平寺の旅の寫眞は前囘で終了です。
 つゞきまして「那谷寺(なたでら)」の寫眞を掲載します。
 石川縣小松市にある那谷寺は高野山眞言宗の別格本山です。山號は「自生山」。眞言宗ではありますが、本來は山嶽修驗「白山(はくさん)信仰」の寺で、養老元年、越の大徳(たいとこ)、泰澄神融(たいちょうじんゆう)法師による開創です。

(寫眞上)
 金堂華王(けおう)殿。六五〇年前に消失したままになつてゐたさうですが、山嶽白山信仰の復興を願つて平成二年に再建されたものださうです。
 本尊は十一面千手觀音で、白山曼陀羅、泰澄神融法師、そして那谷寺中興の祖と謂ふべき「花山法皇」をお祀りしてあるさうです。

(寫眞中)
 金堂の菊の御紋。花山法皇は自らこの地に居を構へられたさうです。

(寫眞下)
 大悲閣(だいひかく)拜殿。奧は岩窟になつてをり、本殿は岩窟内にあります。建築樣式は「四棟舞臺(しとうぶたい)造り」です。四方の欄間に浮彫りが施されてをり、鹿、鳳凰、鶴、松、竹、梅、橘、紅葉などの花鳥が配されてゐます。國指定、重要文化財です。
 

オロモルフ号の航宙日誌3954『世相家事雑感』

 投稿者:オロモルフ  投稿日:2009年11月 2日(月)09時39分44秒
  ▼指名選手の解説3
(ドラゴンズ球団のサイトから)

◎育成1巡目指名選手
【氏名】 矢地 健人(やち けんと)
【年齢】 21歳
【位置】 投手(右・右)
【身長】 180センチ
【体重】 68キロ
【所属】 高岡法科大
スリークォーターからのストレートは威力有り、変化球が課題

◎育成2巡目指名選手
【氏名】 赤田 龍一郎(あかだ りゅういちろう)
【年齢】 21歳
【位置】 捕手(右・左)
【身長】 178センチ
【体重】 80キロ
【所属】 愛知大学
打撃に魅力、スローイングも正確で体にキレが出てくれば楽しみ

 育成枠は70人枠に入らない選手ですが、育成枠から一軍になった選手もいるわけですから、期待しようと思います。
 順序は下位ですが今年は捕手を三人とっています。
 谷繁の後継者が育っていないドラゴンズとしては、今年入った三人に育ってほしいです。

 ちょっと面白いのは三巡目指名の中田亮二選手で、公称171センチで115キロもあり、現在のプロ野球での最重量だそうです。しかし意外に足は速いらしい。
 一塁ですから出るのは大変ですが、体重を生かして活躍してほしいです。

▼ガス湯沸器

 浴槽用の湯沸器がとうとう壊れてしまいました。
 もう15年以上使っていますので、そろそろ壊れるだろう――と心配していたのですが、一昨日、それが実際となりました。
 業者を呼びましたが、もう古くてどうしようもないという話。
 で、泣く泣く新しくすることにしました。
 今日据え付ける予定です。
 値段が高いので、どうやって払ったらいいのやら、金欠病で情けない有様です。
 わたしの年金は減額年金でしかも最近は介護保険料を天引きされてますます減っております。
 民主党政権になってもいっこうに改善される気配はありません。
 

オロモルフ号の航宙日誌3953『日露戦争と無線電信78』

 投稿者:オロモルフ  投稿日:2009年11月 2日(月)09時39分0秒
  ▼日本海海戦における三笠の無線電信機の損傷18

『軍艦三笠戦時日誌』における無電受信以外の記述(其の十四)

 日本海海戦の戦後処理が一段落した三笠は、戦場から鎮海湾→佐世保→鎮海湾と移動して、六月七日の夜以後しばらくは鎮海湾に待機しました。
 六月十日も鎮海湾にいましたが、その日の戦時日誌につぎのようにあります。

**********

午後五時三十分 総員前甲板整列 日本海海戦ニ於テ殊功アリシ無線電信機三等兵曹窪田新助ニ特別善行章ヲ授与シ終テ艦長訓示アリ 其要次ノ如シ

 艦長訓示(総員於前甲板)

一、無線電信係リ窪田兵曹ニ去ル五月二十七日、二十八日、日本海海戦ノ際無線電信
  取扱ヒノ功績ニ対スル特別善行章授与申渡シノ後
  窪田兵曹カ本日名誉ノ特別善行章ヲ得タル 無線電信ハ此度ノ大捷二関シテ尤モ
  顕著ナル機関ナリキ 敵艦隊ヲ発見シタル後能ク是レト接触ヲ保チ我カ主戦艦隊
  ヲ導キテ遂ニ会戦全滅ノ機会ヲ得セシメタルハ一ニ無線電信ノ賜ナリ 抑モ無線
  電信カ我カ各艦装備セラレシハ昨年出征ノ少シク前ニシテ其ノ果シテ戦時ニ於テ
  モ有効ナリヤノ疑問ハ当時未タ決セラレサルニ日露干戈ヲ交ユルニ至リシカ出征
  以来種々ノ場合ニ使用シテ得タル効果尠カラス 殊ニ今回大捷ノ動機ヲ与エタル
  カ如キ是ニ至リテ吾人ハ等シク其ノ創案者タル「マルコニー」其人ニ対シ感謝シ
  テ措カサル所ナリ
  但シ無線電信機ニ就テハ尚ホ多ク進歩スヘキ余地ヲ有ス 仮ヘハ是ニ依リテ発信
  艦所在ノ方向ヲ覚知スルカ如キ、或ハ有効距離ヲシテ更ニ遠大ナラシムルカ如キ、
  又空中電気ヲ識別スルカ如ク其他欲スル所枚挙ニ暇アラサルヲ以テ将来益々研究
  シテ該機ノ至大ナル発展ヲ見ム事ヲ望ム
  惟ニ無線電信ノミニ非ス 砲術、水雷術、機関ニ於テモ亦然リ 既ニ其筋ニテモ
  敵カ一縷ノ望ヲ嘱セシ「バルチック」艦隊全滅ノ結果、戦局ノ終末モ甚タ遠カラ
  サルヘキヲ察シ新タニ練習生ノ募集サレタルヲ見ル 蓋シ新知識ノ普及ヲ得ンカ
  為メナリ 願クハ夫レ夫レ所志ヲ定メテ奮励シ可及的多数ノ志願者在ランコト望
  ム(二、以下略)

(国としての褒賞はあれこれ有り、このあと大量の叙勲褒賞がなされたのですが、この無線電信係窪田兵曹への特別善行章は珍しいと思います。おそらくこれは艦長としての独自の褒賞でしょう。確言はできませんが、無電機の前に座って受信電文を上官に渡し、また上官からの命令で電文を送信する役目は大砲を撃ったりする役目に比べて目立ちませんから、軍としての褒賞にはなりにくく、そこできめ細かく配慮することで知られた伊地知彦次郎艦長は、独自の賞を与えたのではないか、と思います)

**********

 ここで参考までに、他の資料から分かります三笠の無電関係の担当者を記しておきます。

 開戦時から黄海海戦のころまでは、士官としては、
 白根熊三大尉(明治34年4月25日に無電訓練終了)
 市川節太郎中尉(明治36年8月1日に無電訓練終了)
 市川中尉が当時の無線電信主任で、黄海海戦で重傷を負っています。
 士官のもとで操作する担当者は不明です。

 日本海海戦時においては、士官としては、
 清河純一大尉(聯合艦隊参謀の一人で無電や信号担当/当時軽傷)
 森初次大尉(明治34年4月25日に無電訓練終了)
 この二人以外は不明ですが、訓練修了士官があと一人いたかもしれません。重要な軍艦ですから、訓練終了士官が一名のみとは考えにくいです。黄海海戦で減ってしまったら別ですけど。
 士官以外としては、
 窪田新助三等兵曹(明治35年11月20日に無電訓練終了。87点という最終試験成績が記録にあります)
 岡部吉之助一等兵曹(無電訓練有無は不明/無電室で軽傷)

 無電の訓練は水雷術練習所で全力を振り絞ってはいたものの、とうてい十分な人数の訓練は出来ず、したがって無電係といっても軍艦上で経験者から初めて教わる士卒が多かったのではないかと思います。とくに現場に詰めて無電機を扱うオペレータはそのようだったのではないか、と思います。

(以上で三笠戦時日誌に見られる無電関連の記事引用を終わります。つぎは戦時日誌以外の一次資料から無電関連を抜萃いたします)
 

re:永平寺

 投稿者:オロモルフ  投稿日:2009年11月 2日(月)09時37分31秒
  那須の権太さん、つぎつぎに興味深い写真をありがとうございます。
下の正門が、意外なほど質素というかこぢんまりしているのですね。
そのあたりのちょっとしたお寺さんと変わらないようですが、その奥がすごいのですね。
こんな大きなお寺の鐘、一度は衝いてみたいです。低い音がするのでしょうか。
前に近くの神社に鐘楼があってで衝いてみたことありますけど、派手な音がしたので恥ずかしくなりました。
 

永平寺その六

 投稿者:那須の権太  投稿日:2009年11月 1日(日)17時27分37秒
  (寫眞上)
 祠堂殿登り口を正面から撮つたものです。

(寫眞中)
 參道脇を流れる永平寺川です。

(寫眞下)
 そしてこれが日本曹洞宗大本山、吉祥山永平寺正門であります。
 

永平寺その五

 投稿者:那須の権太  投稿日:2009年11月 1日(日)16時46分42秒
  (寫眞上)
 最初にご紹介した通用門の階段登り口のすぐ右脇にある「一葉(いちよう)觀音」です。昭和四七年に開眼供養が行なはれたまだ新しいものですね。
 道元禪師が宋より歸朝の際、荒れた海で苦しんでゐた時、觀音普門品偈(かんのんふもんぽんげ)を唱へると一葉の觀音が現はれ、波も靜まつたといふ因縁があるさうです。

(寫眞中)
 木陰に見える「祠堂殿(しどうでん)」に致る石段ですが、全國の信者からの位牌が納められてゐるので、一般觀光客は入れません。

(寫眞下)
 ここが鐘樓です。誰でも自由に撞くことが出來ます。昭和三八年に改築されたものださうです。大梵鐘は口徑1.5メートル、高さ3メートル、重さ5トンの巨鐘です。定期的には朝、晝、夕、夜の一日四囘、鐘點(しょうてん)といふ係の修行僧によつて撞かれるそうです。
 (寫つてゐるのは私の旅仲間の一人ですが、顏は消してあります。)
 

re:永平寺

 投稿者:オロモルフ  投稿日:2009年11月 1日(日)13時14分42秒
  那須の権太さん、すばらしい永平寺のお写真、ありがとうございます。
わたしも参詣に行きたいですけど、もう無理です。残念。
白いもやもやみたいなもの、確かに写っておりますね。
さて、何なのでしょうか。
写真の物理に強い方、推理していただけないでしょうか。
 

オロモルフ号の航宙日誌3952『世相家事雑感』

 投稿者:オロモルフ  投稿日:2009年11月 1日(日)13時13分0秒
  ▼指名選手の解説2
(ドラゴンズ球団のサイトから)

◎5巡目指名選手
【氏名】   大島 洋平(おおしま ようへい)
【年齢】   23歳
【位置】   外野手(左・左)
【身長】   176センチ
【体重】   74キロ
【所属】   日本生命
【出身大】 駒澤大
大学時代から打撃はパワーがないが、安打製造機、
足も速く、強肩である。

◎6巡目指名選手
【氏名】   諏訪部 貴大(すわべ たかお)
【年齢】   21歳
【位置】   投手(右・右)
【身長】   178センチ
【体重】   83キロ
【所属】   Honda
【出身校】 中越高
球質、球威も良く、スライダー主体の投球、
身体も丈夫で素材は良い。

◎7巡目指名選手
【氏名】   松井 雅人(まつい まさと)
【年齢】   21歳
【位置】   捕手(右・左)
【身長】   179センチ
【体重】   78キロ
【所属】   上武大
【出身校】 桐生第一高
強肩、強打の捕手、送球に安定感があり、
パンチ力ある打撃が魅力。

◎8巡目指名選手
【氏名】 吉田 利一(よしだ としかず)
【年齢】 22歳
【位置】 捕手(右・左)
【身長】 178センチ
【体重】 72キロ
【所属】 奈良産業大
大学1年生から捕手として出場し、リードが良く
打撃はセンター中心に広角に打てる

(ちょっと気になる報道があります。それは6巡目の諏訪部投手が、6巡目という順番に不満を述べているということです。スポーツ新聞の報道の真偽は不明のことが多いので何とも言えませんが、もしそういうわがままと言うのなら、入れない方が良いと思います。五巡目まではどの球団も指名しなかったのですから・・・)

▼花ユズ

 少しずつ黄色くなってきています。
 最近、ヒヨドリらしい鳥が次郎柿を食べています。これで二個目が皮だけになりました。
 しょうがないなあ・・・。
 まだ渋いんですけど、今年は鳥が空腹なんでしょうか。
 もっと熟してきて秋が深まってからなら毎年食べておりますが、こんなに早く食べられるのは始めてです。

 ↓↓↓↓↓
 

オロモルフ号の航宙日誌3951『小学生の日本神話285』

 投稿者:オロモルフ  投稿日:2009年11月 1日(日)13時10分4秒
  ▼『古事記』の神話 上巻 大国主神7

<二、根の堅州国を訪問1>

(ここから、大穴牟遅神に降りかかる大きな苦難の物語になります。この苦難を経て大穴牟遅神は大国主神になるのです)

 大穴牟遅神の大勢の兄弟に結婚を迫られた八上比売は、申しました。
「わたしはあなたがたとは結婚はいたしません。大穴牟遅神と結婚いたします」
 これを聞いた兄弟神たちは怒り、大穴牟遅神を殺してしまおうと、相談します。
 そして伯耆の国(ほうきのくに)の手間(てま/*1)の山に着いたとき、大穴牟遅神に、
「赤い猪がこの山にいる。われわれは上から追いかけて下りるから、お前は下で待ち受けて捕まえなさい。もし捕まえなければ、お前を殺すぞ」
 ――と命令しました。
 それから兄弟神たちは、猪に似た大きな石を火で焼いて、転がり落としました。
 それを大穴牟遅神が捕まえたところ、たちまちその焼け石で焼かれて、石に張り付いて死んでしまいました。

[続く]

*1:現在の島根県西伯郡会見町天万だそうです。

(凄いことになってきましたね!)
 

永平寺(餘談)

 投稿者:那須の権太  投稿日:2009年10月31日(土)18時49分12秒
  オロモルフ樣
「その四」寫眞下の説明に書き漏らしたことがあつたので追加させていたゞきました。

 それとは別に、法堂内部の寫眞を見てゐて氣づいたのですが、この寫眞に白いモヤモヤした玉が幾つも寫つてゐますよね。先生はこれ何だと思はれますか?
 よくトンデモ話で謂はれるのが「オーブ」です。何かの靈気が寫り込むんだとか・・。でもだいたいは水蒸氣や空中のほこりがストロボの光に反射して寫り込むものなんですよね。ただ、これを撮つた直後に少し角度を變へてもう一枚撮つてゐるのですが、そちらには何も寫つてゐないのです。

 先生や他の皆さんはどう判斷されますか?實は、先に掲載した「山門」の廻廊の寫眞にも似たものが寫つてゐます。でもこちらの方はレンズゴーストだと思ひます。寫眞の中央附近です。面白いので三枚竝べて掲載してみます。
 

永平寺その四

 投稿者:那須の権太  投稿日:2009年10月31日(土)13時25分7秒
編集済
  「その三」で書き漏らしましたが、北朝後圓融天皇からの敕額「日本曹洞第一道場」はその後、第一〇五代後奈良天皇より「日本曹洞第一出世道場」として追認を賜はり、さらに第一〇七代後陽成天皇より重ねて「日本曹洞の本寺竝びに出世道場」の諭旨を賜はつてゐます。

(寫眞上)
 永平寺七堂伽藍のうち最も小高い場所にある「法堂(はっとう)」の内部です。
 ここは禪師の説法の道場ださうで、朝の勤行や各種法要などもここで行なはれるさうです。中央には「聖觀世音菩薩」が祀られてゐるさうです。階段の左右に置かれてゐるのは阿吽の白獅子です。

(寫眞中)
 左側の建物は先にご紹介した「佛殿」ですが、その奧に見えるのが「大庫院(だいくいん)」で、ここの一階には食事を作る「典座寮(てんぞりょう)」と呼ばれる臺所、二階には來賓接待の間があり、三階には「菩提座(ぼだいざ)」と呼ばれる一五〇疊敷の大廣間があります。

(寫眞下)
 大庫院の入り口を入つたところにある「法喜禪悦」の額。永平寺六七世元峰禪師による揮毫です。中央に祀られてゐるのが足の早さで有名な「韋駄尊天(いだそんてん)」です。この裏で一山大衆、すなはち修行僧や參籠者の食事である三度の「弁食(べんじき)」が作られてゐます。
 

オロモルフ号の航宙日誌3950『世相家事雑感』

 投稿者:オロモルフ  投稿日:2009年10月31日(土)11時18分55秒
  ▼指名選手の解説1
(ドラゴンズ球団のサイトから)

◎1巡目指名選手
【氏名】 岡田 俊哉(おかだ としや)
【年齢】 17歳
【位置】 投手(左・左)
【身長】 181センチ
【体重】 69キロ
【所属】 智弁学園和歌山高
制球力抜群で強い球を低めに投げられる。
故障もなく、3年間コンスタントに先発として投げる。
完投能力もあり、将来先発として投げられる素材。

◎2巡目指名選手
【氏名】 小川 龍也(おがわ りゅうや)
【年齢】 18歳
【位置】 投手(左・左)
【身長】 182センチ
【体重】 70キロ
【所属】 千葉英和高
腕の振りが良く、投げ方がスムーズ、
コントロールが良く、角度もある。
下半身がしっかりしたら、まだまだ伸びる投手。

◎3巡目指名選手
【氏名】   中田 亮二(なかた りょうじ)
【年齢】   21歳
【位置】   内野手(右・左)
【身長】   171センチ
【体重】   115キロ
【所属】   亜細亜大
【出身校】 明徳義塾高
広角に打てる打撃に加え、体格に
比べ脚力もあり、動き良い。

◎4巡目指名選手
【氏名】   松井 佑介(まつい ゆうすけ)
【年齢】   22歳
【位置】   外野手(右・右)
【身長】   183センチ
【体重】   83キロ
【所属】   東京農業大
【出身校】 大阪商業大学堺高
身体能力は高く、素材も申し分ない、
将来性を非常に感じる選手。

 この中でちょっと面白いと思うのは三巡目の中田亮二ですね。
 背はあまり高くないのに百キロ以上あるずんぐりした選手。しかし意外に脚力もあり、アベレージヒッターらしい。問題は守備位置が一塁だけらしいことです。三塁の勉強などもすれば、活躍できるかもしれません。

▼厚黒学

 これはシナの言葉で「ずるがしこくて腹黒い者でなければ王者、覇者にはなれない」という「厚黒の歴史法則」を意味するらしいです。
 こういう名前の本があちらでは何百万部も売れて大ヒットしたので、日本でも翻訳が出たが、まったく売れなかったらしい。
 日本と中国の意識の差は大きなものがあります。
 この違いに気づかないのが日本のマスコミと政治家ですね。
 黄文雄さんがこれについての本を出版し、それを宮崎正弘さんが書評している中に、上の事が書いてありました。
 ところで宮崎正弘さんの最近の本の表題にシナとあったので、産経新聞では広告を断ってきたそうですね。最近の産経は言葉狩りに加担しているなあ・・・。

▼温州ミカン

 鉢植えの温州ミカンも黄色くなってきました。
 収穫の秋が近づいております。

 ↓↓↓↓↓
 

オロモルフ号の航宙日誌3949『日露戦争と無線電信77』

 投稿者:オロモルフ  投稿日:2009年10月31日(土)11時17分11秒
  ▼日本海海戦における三笠の無線電信機の損傷17

『軍艦三笠戦時日誌』における無電受信以外の記述(其の十三)

**********

「戦闘詳細附録第一号」(五月二十七、八日の戦闘詳報の附録)

(この中に多くの調査表がある中の「水雷科破損箇處調査票」の中の後半に無電関連があります。なお前半は電気配線や艦内電話関連で、省略します)

前部無線電信室引入口絶縁用エボナイト板 二枚 敵弾前部潜水器室破壊セシ際破損

三十珊感応線用エボナイト覆 一枚 同右

耐風雨無線電信垂直線 一個 後「メントップマスト」切断墜落セシ際

無線電信垂直線碍子 十一本 同右

(メントップマストとは後部のマストのことで、後部が主マストです。これが途中で折れてしまったことは前に記したとおりです。ですからこれに伴ってそこに張られていたアンテナが後部無電機用も前部無電機用も墜落破損したことは当然ですが、この表に「一個」と記されているのは、たぶん、前部無電機用は落ちたのち回収して使用出来たからでしょう。また前部の無電機室もかなりの被害にあっていたことが分かります。三十珊感応線とは、大小二種あったインダクションコイル(特殊なトランス――変圧器)のうち小型の方です。ですから大型の五十珊の方が使えたことになります)

(同じ附録の中の「二十七日の死傷者原因詳表」の中につぎの無電機関連があります)

午後六時四十五分 敵十二尹弾薬剤室天蓋ヲ貫キ炸発 無線電信係 前部無線電信室ニアツテ電池器飛テ額ヲ打ツ 一曹 岡部吉之助 前額挫傷(軽傷)

(幸いなことに、無線電信係の兵士たちの死者や重傷者はいなかったようです。それにしても12インチの敵主砲が近くで炸裂した振動で電池が飛び跳ねて額にぶつかったのですから、相当な衝撃が無電機全体に加わったことがわかります。それでも壊れなかったのは、開発者たちが「丈夫で扱いやすい」をモットーにして苦心した成果だったといえます。外国製ではそのような配慮がなく、また日本でも大学教授が同じころに造っていた無電機もそのような配慮がなく、軍艦に積むととても壊れやすかったらしいです)

[続く]

**********
 

Re:4.14 「天平」と改元(天平元年(729)八月)

 投稿者:オロモルフ  投稿日:2009年10月31日(土)11時16分14秒
   なるほど、天平の甍の天平とは亀から来たのですね。
 しかし、それにしても、何だかわざとらしいですね。
 そんな文字を背中に持った亀がいて、道栄が教導して献上させたとは!
 

Re:永平寺その三

 投稿者:オロモルフ  投稿日:2009年10月31日(土)11時14分52秒
    四天王はじつにきらびやかですね。
 おそらく日本の古来の寺院や仏像は、できたころは華麗なものだったのでしょうね。
 いつしか色が落ちてわびさびの雰囲気になりましたけど。
 東大寺の大仏なども出来たころはもの凄く派手なものだったそうですね。
 それにしても木造建築の質実剛健な様子がうかがえます。
(いま、ワードに保存する練習をしています。一太郎とは扱い方がずいぶん違うので面食らいます。)
 

奈良時代にこんなことが−一言主大神は語る

 投稿者:ハチマキおじさん  投稿日:2009年10月31日(土)09時44分38秒
  4.聖武天皇の御代(724〜749)

4.14 「天平」と改元(天平元年(729)八月)
 六月二十日のことじゃが、左京職が亀を献上した。長さ五寸三分、幅四寸五分で、その背中には、「天王貴平知百年(天皇は貴く、平和な治世は百年に及ぶであろう)」という文字があったのじゃ。これを大変目出度いこととして、八月五日に天皇は詔を出された。
「… 京職の大夫・従三位藤原朝臣麻呂らが文字を背にもつ亀を献上…、これは太上天皇(元正天皇)の厚く広い徳を蒙り、高く貴い行いによって現れた大瑞である。… この大瑞は天神・地祇がともに嘉として祝福されたがために顕された貴い端(しるし)である。そこで神亀六年を改めて、天平元年として、天下に大赦を行い主典(さかん)以上の百官の者に冠位一階を上げることをはじめとしてさまざまな恩恵を与えよう。…」
天平文化などとして耳になじんでおる天平時代が始まったわけじゃ。その「天平」は、亀の背中の文字がもとじゃった。そして、七四九年まで二十年間続くことになるのじゃ。

 ところで、実際に亀を捕らえたのは河内国古市郡の人で、無位の賀茂子虫(こむし)じゃった。子虫には従六位上が授けられ、アシギヌ二十匹、真綿四十屯、麻布八十反、貸し付け用の稲二百束が与えられた。また、唐から来日した僧の道栄には、子虫を教導して亀を献上させたとして、従五位下の位階になずらえて緋色の袈裟と物が施された。位階相当の禄は、令の規定により与えられたのじゃ。道栄については、養老四年の記事にもあるが、経典を読む際の節回しの統一にも関与していたようじゃ。

 天平時代は、天然痘の大流行や藤原広嗣の乱、繰り返される遷都など必ずしも平和を謳歌できたわけではないが、薬師寺の東塔、興福寺の五重塔が建てられ、東大寺の大仏、国分寺・国分尼寺の創建など多くの仏教文化が花開いた時代ではあった。「天平文化」のもつなにやら懐かしい響きは、これが我が国の文化の基礎となっていることを心に訴えておるのかもしれんの。

http://www12.ocn.ne.jp/~koushin/

 

永平寺その三

 投稿者:那須の権太  投稿日:2009年10月30日(金)19時42分4秒
編集済
  (寫眞上)
 永平寺「山門」入り口に安置されてゐる四天王です。門の東西に二體づつあります。これは東側のもので、向つて右が「東方持國天」、左が「北方多聞天」です。平成二〇年に修復されたさうです。

(寫眞中)
 こちらが西側で、右が「西方廣目天」、左が「南方増長天」となつてゐます。

(寫眞下)
 この寫眞は先に掲載したものの再掲ですが、山門と一體となつてゐる廻廊部分です。修行僧たちの修行の一環である、毎日の廻廊掃除によつてピカピカです。この掃除行は“動の坐禪”とも位置付けられてゐるさうです。

 永平寺の山號は「吉祥山(きちじょうざん)」ですが、その名の由來となつた「吉祥の額」が、この山門入り口正面に掲げられてゐます。 山門は支那唐時代樣式の樓閣門です。この寫眞右側に階段があるのが判ると思ひますが、反對側の階段との間の部分が入り口です。四天王像もこゝにあります。

 二階には登れませんでしたが「五百羅漢」が祀られてゐるさうで、中央には後圓融天皇から下賜された『日本曹洞第一道場』の敕額が掲げられてゐるさうです。

 この山門が永平寺に正式に入門を志願する修行僧の玄關となるさうで、一般の參拜者は外からこの門へは入れないといふことです。
 

オロモルフ号の航宙日誌3948『世相家事雑感』

 投稿者:オロモルフ  投稿日:2009年10月30日(金)11時43分41秒
  ▼今年のドラフト

 昨29日に行われたプロ野球ドラフトでドラゴンズが選択した選手はつぎの八名でした。

1位 岡田 俊哉
投 手 智弁和歌山高
2位 小川 龍也
投 手 千葉英和高
3位 中田 亮二
内野手 亜細亜大
4位 松井 佑介
外野手 東京農業大
5位 大島 洋平
外野手 日本生命
6位 諏訪部 貴大
投 手 Honda
7位 松井 雅人
捕 手 上武大
8位 吉田 利一
捕 手 奈良産業大

 さらに育成枠として二名選択しました。

育成枠1 矢地 健人
 投手 高岡法科大
育成枠2 赤田 龍一郎
 捕手 愛知大学

 合計十名で、予想より多かったです。
 個々の選手については明日ご報告します。

▼ドラフトについての私の夢。

 それは、素人の私がまったく予想もしなかったような選手が指名されて、その選手が入って大活躍することです。
 高校野球や大学野球で活躍した選手は素人でも知っていますから、あれが良いとかこれの方が良いとか、誰でも言えます。
 しかしスカウトが他球団の誰もがマークしなかったまったく無名の選手を探してきて、それが入って活躍すれば、「さすがはプロのスカウトだ」と評価されると思います。

▼千両

 ――が赤みを帯びてきました。
 今年もヒヨドリに食べられてしまうんでしょうか。
 ヒヨドリといえば、最近このあたりでもカラスが増えてきました。
 転居する前は鎌倉に住んでいましたが、そこではカラスに悩まされておりました。
 それがこちらに来たら、カラスがほとんど見られないので感心しました。
 しかし次第に増えてきて、時々危険を感じるほどになってきました。

 ↓↓↓↓↓
 

オロモルフ号の航宙日誌3947『小学生の日本神話284』

 投稿者:オロモルフ  投稿日:2009年10月30日(金)11時42分0秒
  ▼『古事記』の神話 上巻 大国主神6

<稲羽の白兎6>

[承前]

 この兎は大穴牟遅神に、つぎのように予言しました。
「あの大勢の兄弟の神々は、八上比売と結婚することは出来ないでしょう。袋を背負ってはいても、あなたがお嫁さんにするでしょう」

(これでこの白兎の項はおわり、大穴牟遅神が大変な苦難に遭遇する場面に移ります。なお八上比売は神に仕える巫女で、その地方の有力者たちの憧れの的だったのですね。この『古事記』の記事には、須佐之男命の子孫のことが詳しく記されています。大穴牟遅神=大国主神はそのうちの六代目、六世神です。大和朝廷の神話に出雲の神々の事蹟が詳しく記され、またその遠祖の須佐之男命が大和朝廷の祖である天照大神の弟神であるとされるのは、大和朝廷がいかに出雲の勢力に気をつかっていたかを示していると思います。出雲豪族と大和朝廷の確執はずっと後になっても『日本書紀』などに記されていますし、出雲大社の建立も出雲一族を宥めるためだったと言われます。『魏志倭人伝』においても、九州から邪馬台国に行く途中に「出雲」らしき「投馬」という大きな国があると記されていますが、邪馬台国=大和朝廷とすれば、『魏志倭人伝』と『古事記』の神話とはよく一致いたします。出雲→イズモ→ズモ→ズマ→投馬。投の音にはズがあるそうです)
 

Re:誰〜もイギリスの刑事司法制度のことは言わない(10)

 投稿者:オロモルフ  投稿日:2009年10月30日(金)11時40分18秒
   この制度も興味深いです。なるほど、イギリスでは有罪無罪の判断だけなのですね。
 イギリスの制度をインターネットで調べようとしても、私のような人間に分かりやすく書かれている解説は見つかりません。
 この連載は貴重です。
 

Re:永平寺その二

 投稿者:オロモルフ  投稿日:2009年10月30日(金)11時39分38秒
   綺麗なお写真をありがとうございます。
 クリックするととても大きくなり見易くなります。みなさんもクリックしてご覧ください。
 天井絵のお部屋はずいぶん近くまで行かれるのですね。いたずらされないか、ちょっと心配になりますけど。
 そういえば曹洞宗のご本尊は釈迦牟尼ですね。うちは浄土真宗と曹洞宗が同居しているものですから、お釈迦さまの仏像と阿弥陀さまの仏像があります。両方とも小さなものですが。たしか両手の組み方で区別するのですね。
 

誰〜もイギリスの刑事司法制度のことは言わない(10)

 投稿者:解法者  投稿日:2009年10月30日(金)10時48分23秒
   本題とは直接関係がないが、日本で行われている「裁判員制度」の
こともあるので、イギリスの刑事裁判制度について簡単に触れておき
たい。
 イギリスでは「陪審」が行われているが、アメリカとは異なり
全ての刑事事件に「陪審」が実施されているわけではない。「重罪」
に限られる。「重罪」とは1級犯罪(殺人罪など)と2級犯罪
(致死罪、強姦罪など)、その他1年を超える犯罪で否認事件
および被告人が陪審を希望した場合である。2005年には
80,021件に上っている(日本では3,633件−犯罪率、
起訴率、対象範囲もあるから単純には比較できない)「陪審裁判」
は「刑事法院」(日本の地方裁判所に当たる)で行われ、裁判官1名、
陪審員12人で構成される。陪審員は有罪・無罪を判断するだけで
量刑の権限はない。この点はアメリカと同じである。陪審員は
選挙人名簿(18歳〜69歳)から無作為に選出される。
「呼出状」にもかかわらず出頭しないときは1000ポンド
(約16万円)の罰金が課せられる(日本では10万円の過料)。
辞退はなかなか認められない。
 評議は原則として全員一致だが、それが不可能なときは11対1、
10対2でも可能とされている。
 なお、刑務所や警察署の留置施設で被疑者などが死亡した場合、
警察官の行為により被疑者など死亡した場合には「検死陪審」と
いうものが開かれるという特殊な制度がある。これは捜査機関に
よる事件をウヤムヤにしないためにも日本でも採り入れた方が
よいと考える。
 

永平寺その二

 投稿者:那須の権太  投稿日:2009年10月29日(木)19時27分22秒
  (寫眞上)
 「傘松(さんしょう)閣」二階大廣間床の間。
 この建物は參拜者の控室や宿泊部屋がある建物です。平成六年に改築されたものださうです。

(寫眞中)
 傘松閣の天井繪。昭和五年建築當時の物をその儘修復した物ださうで、この部屋の別名を「繪天井大廣間」と謂ふさうです。この繪は昭和五年當時の著名な畫家一四四名による二三〇枚の花鳥繪です。
 私の地元出身の佛畫家「荒井寛方(かんぽう)」の作品もありました。

(寫眞下)
 これが永平寺七堂伽藍の中心、「佛殿(ぶつでん)」。本尊、釋迦牟尼佛が祀られてゐます。
 

オロモルフ号の航宙日誌3946『世相家事雑感』

 投稿者:オロモルフ  投稿日:2009年10月29日(木)12時32分7秒
  ▼ドラフト会議

 いよいよ本日はドラフトです。
 どういう事になるのでしょうか。
 私としては、有名選手の取り合いではなく、無名の中に隠れている宝石を見つけてほしいです。甲子園や大学野球で活躍した有名選手を候補にあげるのは素人にだってできます。だからスカウトの腕の見せ所は、無名選手の中から未来の有名選手を発見することではないでしょうか。

▼鬼ユズの続き

 これはもっとも黄色くなった実です。葉に隠れてこれまでは見えなかったものです。

 ↓↓↓↓↓
 

オロモルフ号の航宙日誌3945『日露戦争と無線電信76』

 投稿者:オロモルフ  投稿日:2009年10月29日(木)12時30分25秒
  ▼日本海海戦における三笠の無線電信機の損傷16

『軍艦三笠戦時日誌』における無電受信以外の記述(其の十二)

**********

[承前]

(十二)無線電信ノ作動

三、無線電信ニ付キ将来改ラルヲ要スヘキ点左ノ如シ(の続き)

 (三)単檣艦ニアリテモ戦闘用ノ目的ヲ以テ引込口トシテ「マスト」内腔ヲ使用スルノ道ヲ講センコトヲ希望ス 抑モ無線電信効力上ヨリ云ヘハ二檣ノモノヨリ単檣ノモノヲ有利ナリトシ又防禦ノ点ヨリ云フモ第一項ニ述ヘシカ如ク勤メテ上甲板以上ノ副造物ヲ避ケサル可カラサルヲ以テ今後ノ軍艦艦形トシテ寧ロ単檣艦ヲ是トシ信号ノ副装置タル一檣ヲ廃スル代リニ其重量ヲ以テ一檣ヲ強固ニ構造センコト小官ノ希望ニ堪ヘサル所ナリ

 (四)艦船ニ於ケル垂直線装備ノ進歩ト共ニ送信力ヲ弱ムヘキ「ステイ」「リギン」絶縁ヲ完全ニスルハ勿論其導キ方ニ於テモ垂直線ノ好状態ヲ保持セシムル為メ請求ハ勤メテ之ヲイ満足セシメラレンコトヲ希望ス

(この少し前の箇所で伊地知彦次郎艦長は、下図のようなアンテナの張り方と無電室の位置やそこまでの引き込み方法を提案しています。この図は活字化された本では略されており、戦時日誌の原典を見ないと見つかりません。これは当時としては経験を生かしてよく考えた方法だと思いますが、その後発展したアンテナの知識から言いますと、無理があります。線状アンテナというのは、マルコーニが始めた方法ですが、最初のうちはただ単に上空高く伸ばすだけでしたが、後には横に張ってその端や中央から下に降ろす方法がよく用いられるようになりました。そしてその性能がなかなか良い事が見出されました。これは日本海軍では横臥式垂直線と呼んでいましたが、おそらくは艦船の上という制限された形状に合わせて工夫されたものでしょう。この横臥式の特性が良好である理由として当時の人たちは――高度な専門家も含めて――横に張った線からたくさんの電波が出るからだと考えたようです。しかし大正時代以降に研究が進んで、昭和初期には明かになったのですが、線状アンテナの電波送受は、主に地表に垂直な部分でなされます。横臥した部分からの電波は地表や海面からの反射波と相殺してしまって、効率が悪いのです。直接波と反射波とでは極性が逆になるからです。なぜ逆かといいますと、それは地面や海面が導体で電波はそれに水平だからです。一方垂直部分からの放射は反射波と極性が同じで相加しますので、そういう事はありません。ではなぜ艦船での横臥法が良好だったかといいますと、垂直部分の先に横臥部分がある事によって垂直部分の電流が増えたからです。つまり下に降ろすための垂直部分からの電波が増えたのです。しかし当時の人たちは、木村駿吉のような開発者でも、その部分を単なる引き込み線としか考えていなかったようです。ですから下図のように、電流の多い大切な垂直部をマストの円筒の中に入れてしまう案を出しているのです。さて、この(三)と(四)の提案は、軍艦上でのマストがらみのワイヤーによる電波妨害にいかに悩んでいたかを物語っています。いまの知識であれこれ考えてみましても、前回の図の後部無電機のアンテナが最善でしょう。大砲の邪魔という点を除きますと。(三)の単檣が良い――は、二檣に比べてマスト間のワイヤーが無いため張りやすいと考えたためでしょう。(四)の「ステイ」や「リギン」の絶縁というのは、これらを絶縁すればアンテナへの電気的妨害が減るからで、木村駿吉もそれに気づいて上層部に提言したそうですが、そういったワイヤー類を碍子を使って絶縁すると、碍子の強度がまったく保たず、壊れてしまうので無理だと判断されたようです)

▼伊地知彦次郎艦長のアンテナ張り方と無電室位置の案

 ↓↓↓↓↓
 

Re:永平寺

 投稿者:オロモルフ  投稿日:2009年10月29日(木)12時19分2秒
   那須の権太さん、ありがとうございます。
 じつに興味深いです。
 これから時間を見ては、那須の権太さんの写真入りの投稿をワードに保存いたします。保存したあとの処理の仕方はこれから勉強します。
 一太郎でも同様に出来るといいんですけど。
 

永平寺

 投稿者:那須の権太  投稿日:2009年10月28日(水)19時08分12秒
  オロモルフ樣
 改めまして今囘の旅の寫眞を逐時掲載してまゐります。(その間古生物はお休みです。)

 福井縣吉田郡永平寺町にある曹洞宗大本山永平寺、約七六〇年前の寛元二年、謂はずとしれた道元禪師によつて開かれた曹洞宗の根本道場ですね。
 年末のテレビ「行く年來る年」などで、初詣に鐘を撞いてゐる樣子などが紹介されたりします。冬は雪深いところのやうですが、先週の木曜日は紅葉にもまだ少し早いかな?といふ感じでした。

 寫眞の上から、正門參道、通用門、通用門の近影。
 

オロモルフ号の航宙日誌3944『世相家事雑感』

 投稿者:オロモルフ  投稿日:2009年10月28日(水)11時25分34秒
  ▼だんだんデタラメに・・・

 ・・・なってきましたね。
 現内閣のことです。
 前原のいってること、辻褄あいません。
 近く岡田が渡米して、意味不明なコトを言って国益損ねて帰国するのでは?
 防衛大臣の言うことも変です。
 法務大臣は何か画策しているようだし・・・。
 鳩山夫人ははしゃぎまわっていて、マスコミに出まくり。マスコミの扱いは麻生とは大違いで、極端なまでの不公平です。

▼鬼ユズ(続き)

 これまで何回かお見せしたユズです。写真の撮りやすい場所にあるので撮っていただけです。

 ↓↓↓↓↓
 

オロモルフ号の航宙日誌3943『小学生の日本神話283』

 投稿者:オロモルフ  投稿日:2009年10月28日(水)11時19分8秒
  ▼『古事記』の神話 上巻 大国主神5

<稲羽の白兎5>

[承前]

 兎の話をお聞きになった大穴牟遅神は、その兎につぎのようにお教えになりました。
「急いでこの河口に行き、真水で身体を洗いなさい。それから附近の蒲の花(*1)を取って敷き詰めて、その上に横たわって転がりなさい。そうすればお前の身体はもとのように治るだろう」
 兎はこの教えにしたがって、そのとおりにしたところ、傷は治りました。
 これが稲羽の白兎(*2)です。いまでは兎神(*3)といわれます。

*1:蒲には穂ができ花が咲きますが、その花粉は古来薬用だったそうです。

*2:原文では素兎と書かれています。兎の毛皮を衣服に見立てて、素の字を使ったとされます。素は繊維の白さを表現するそうです。白兎と書くと月の異名になるそうです。

*3:兎神とは、つぎに出てきます巫女八上比売のお使い(神使い)だったそうです。

[続く]
 

Re:4.13 光明皇后誕生(天平元年(729)八月)

 投稿者:オロモルフ  投稿日:2009年10月28日(水)11時17分24秒
   たしかに、相当な無理がありますね。
 いまの感覚では、なぜ律令の改正をしなかったのかと思いますけど、そういうものでは無かったのでしょう。
 もっとも現代でも憲法改正は永遠に出来そうになく、憲法の解釈を無理矢理変化させて誤魔化しておりますけど!
 

Re:あれ?コピーで出来る

 投稿者:オロモルフ  投稿日:2009年10月28日(水)11時16分24秒
   那須の権太さん、いろいろとありがとうございます。
 で、あわててワードを探して、とりあえずやってみたところ、ふつうの文書の頁にコピー出来ました!
 これにはビックリしました。
 もっともワードの事は知りませんので、これを編集してインターネットの保存頁にどのように入れるのかは、別の話で、苦労するとは思いますが、とにかく出来ますね!
 これまでの保存頁への写真入りの文書保存は、写真を一つ一つ写真のファイルから探してきて入れていたのですが、それが一度に出来てしまうとなると朗報です。
 ワードの方が進んでいますね。
 

奈良時代にこんなことが−一言主大神は語る

 投稿者:ハチマキおじさん  投稿日:2009年10月27日(火)17時42分23秒
  4.聖武天皇の御代(724〜749)

4.13 光明皇后誕生(天平元年(729)八月)
 八月十日、天皇は詔して正三位の藤原夫人(ぶにん)(光明子)を皇后にされたのじゃ。このことは、同月二十四日に内裏に五位以上の官人と諸司の長官を集めて、知太政官事で一品の舎人親王が宣命を宣布したのじゃ。その中から注目すべき内容を拾い出してみよう。
「朕が皇位について六年、この間皇位を継承すべき皇太子がいた。これにより、その母である藤原夫人を皇后に決めた。国にとって皇后の位は不可欠のものなので、六年間皇后として相応しいか選び試みてきた結果である。元明天皇が、初めてこの皇后を朕に賜った時、「この娘の父・藤原不比等は心から朝廷に尽くした者であるから、この娘に過ちや罪がなければ、捨ててはならぬ」と仰せになった。そのお言葉にしたがって、ともかくも六年間試み使って、皇后の位を授けるものである。それも、臣下の女を皇后に立てるのは自分の時のみではない。仁徳天皇は、葛城曾豆比古(そつひこ)の娘の伊波乃比売(いわのひめ)命を皇后に迎え天下の政を行われた。光明子を皇后に立てることは、今さら珍しいことではない」
この詔に続いて、「今、宣布した詔は常のことではない」として、特に物を賜うとの勅が出され、地位に応じてアシギヌが下賜されたのじゃ。

 いかがかな、いかにも言い訳がましい詔じゃろう。律令においては、皇后になれるのは内親王を原則としておった。このため弁明の羅列になったわけじゃ。まず、夭折した皇太子を産んだ(本章10項)から皇后にすると言い、六年間試した結果だと言っておる。さらに元明天皇の言葉を引き、忠臣・不比等の娘だからと言い、最後には仁徳天皇を前例に出しておるのじゃ。どれ一つとっても、令の原則に反し臣下の娘を皇后にする正当な理由にはなり得ないのじゃ。もっともらしい仁徳天皇の前例も、その活躍時期は五世紀中頃じゃから、律令が制定される二百年も前の話じゃ。令の原則を破る前例にはなり得ないのじゃよ。そのため、臣下の不満を抑えようとアシギヌが下賜されたというわけじゃ。

 長屋王の変(本章12項)から半年後、あえて火中の栗を拾おうとする者などおらんかった。ことは藤原氏の思惑通りに運び、藤原氏の権勢は温存できたというわけじゃ。

http://www12.ocn.ne.jp/~koushin/

 

あれ?コピーで出来る

 投稿者:那須の権太  投稿日:2009年10月27日(火)15時04分36秒
  オロモロフ樣
試しにと思つてやつてみましたら、範囲指定して普通にコピーしても文書も寫眞もそつくり保存できますね。ワードですが・・。
 

文書と寫眞の保存

 投稿者:那須の権太  投稿日:2009年10月27日(火)14時37分42秒
  オロモルフ樣
おそらくさういふことだらうとは思つてました。

寫眞の揭載されてゐるページをそつくり保存するなら、レスの題名部分をクリックし目的の記事だけを表示させた後、ポインタを何もない部分に置き、右クリック。「名前を付けてページを保存」で出來ます。

さうではなく、寫眞入りの文書として保存する場合でも、少し面倒になりますが出來ると思ひます。たゞ私は一太はほとんど使はないので、ワードでのやり方しか判りません。

まづ寫眞だけをマイピクチャに保存しておき、文字部分をワードにコピーした後、畫像を挿入したい場所に点滅カーソルを置いておき、「挿入」タブを開くと「図」といふアイコンが表示されますのでそれをクリックすると、マイピクチャのフォルダが開きます。任意の畫像をクリックして「挿入」ボタンをクリック。
するとワードの文書中のカーソルが置いてある箇所に畫像が挿入されます。

ワードで出來るのですから一太でも可能だと思ふのですが・・・。一太郎はよくわからなくてすみません。
 

オロモルフ号の航宙日誌3942『世相家事雑感』

 投稿者:オロモルフ  投稿日:2009年10月27日(火)12時03分33秒
  ▼前原大臣

 って、本当に軽いノリの人ですね。
 前にインターネット問題があったとき、その軽さにビックリしましたけど、本当に軽い。ダム問題でも話がドンドン変化します。
 こんなに軽い人が大臣やってていいんだろうかと思いますけど、自民党にはもっと軽い大臣もいましたし、日本人全体がとても軽くなっているんですね。
 そのかわりしがらみを考えずに発言するせいか、羽田問題など、ふつうは用心していわないような事を言ってくれます。

▼柑橘類

 今朝起きてみると、昨日の風で、鉢が二つ倒れていました。でも、実は落ちませんでした。
 鬼ユズの鉢は針金で縛ってあるので大丈夫でした。
 その鬼ユズですが、だいぶ黄色くなってきました。

 ↓↓↓↓↓
 

オロモルフ号の航宙日誌3941『日露戦争と無線電信75』

 投稿者:オロモルフ  投稿日:2009年10月27日(火)11時45分35秒
  ▼日本海海戦における三笠の無線電信機の損傷15

『軍艦三笠戦時日誌』における無電受信以外の記述(其の十一)

**********

[承前]

(十二)無線電信ノ作動

三、無線電信ニ付キ将来改ラルヲ要スヘキ点左ノ如シ(の続き)

 (二)垂直線導キ方ハ従来経験ニ於テ確認セラレシカ如ク出来得ル限リ「マスト」ヨ
   リ遠サクルヲ可トス 然ルニ戦闘準備ヲ整フルヤ前後砲塔発射ヲ妨クル為メ勢
   ヒ平時用フル架装法ヲ変セサル可カラス 然モ両檣間ニ介在セル前部垂直線ハ
   恰モ妨波装置内ニアルカ如ク為メニ著シク通信ノ効力ヲ減スルヲ以テ勢ヒ後檣
   ニ其引付位置ヲ求メサル可カラス 小官ハ嚮ニ有効距離ノ増加スルト共ニ敵弾
   ニ対シ垂直線ノ安全ヲ期待スル為メ水平ニ架装スルノ利益ヲ認メタシリカ今回
   図ラスモ後檣ノ倒レシタメ却テ独立セシムレハ損害ナカルヘカリシ前檣垂直線
   モ之カ為メ失ヒ新ニ導キ換ユルノ不便ヲ見タリ 然モ本艦ノ如キ両檣ノ間隔短
   ク其間ニ介在セル垂直線ノ到底後檣ヲ利用スルニアラスハ其効力ヲ発揮シ能ハ
   サルヲ思ハハ此架装法ハ已ヲ得サル所ナリ

(ここに書かれていることは、じつにもっともなことでして、軍艦という制限の強い場所でいかにアンテナの効果を劣化させない張り方をするかは、木村駿吉も頭を痛めたところのようです。この文章は図を見ないと分かりにくいでしょうから、下の図をもとに説明いたします。日本海海戦当時の三笠のアンテナは、だいたいこの図の太線にようになっていたようです。後檣(後部のマスト)の上から船尾に向けて降ろし、その下部からマスト下の無電室に引き込んでいるのが後部無電用の垂直線(アンテナ)です。これは木村駿吉が頭を痛めた結果として推奨した方式で、現在の知識で考えても最善の方法だったと思います。ですから前部無電機用のアンテナも前部マストを利用して似たように張れば良いのですが、戦闘は始まると主砲の妨害になってしまって、使えません。そのままにしておけばアンテナは千切れてしまいます。通常の軍艦では戦闘が始まる前に無電機は海面より下の部屋に移しアンテナは外していたのですが、三笠のような旗艦では戦闘中にも遠方の味方から重大無電が入るかも知れませんので、生かしておく必要があります。そこで前部主砲の前にはアンテナが来ないように張る必要が出てきます。その方法として考えられるのは前部マストの頂上から煙突のある附近に向けて降ろして、後部アンテナと相似形になすことですが、これは煙突が電波を邪魔しますしその附近にはワイヤーが沢山張られているので、電波は妨害されてしまいます。そこで前と後のマストの間に、図のように張り、その前の端から下に降ろしてマスト下部の無電室に引き込む方法が考えられました。これは良い方法のように思われますが、二つの欠点があります。一つは前後のマストのどちらかが倒壊すると、ダメになってしまうという事です。とくに後のマストがやられますと、後は勿論前の無電も使えなくなってしまうのです。日本海海戦時に三笠が受けた無電の被害は、まさにそれだったのです。伊地知彦次郎艦長の文章は、その事を「やむえをえなかった」と語っているのです。前後マスト間に張る方法のもう一つの欠陥は、マストの頂上から無電室までの引き込み線が、マスト自体やマスト附近に張られているワイヤー類によって妨害を受けることですが、伊地知彦次郎はそれには気づいていなかったようです。伊地艦長だけでなく、開発の中心だった木村駿吉も電波の研究を始めていた大学教授たちも、気づいてはいなかったらしいのです。これについては次回にご説明します)

[続く]

**********

▼日本海海戦当時の三笠のアンテナ(概略図)

 ↓↓↓↓↓
 

Re:寫眞の保存

 投稿者:オロモルフ  投稿日:2009年10月27日(火)11時40分15秒
   beeさん、那須の権太さん、ありがとうございます。
 じつは、右クリックしてマイピクチャに保存する方法は、数回はやったことあるのですが、文章と数葉の写真を一緒に保存するのが困難なものですから、まとめて一太郎に入れられないかと思ったのです。これは何度も試みているのですが、成功していないのです。
 

Re:落合監督

 投稿者:オロモルフ  投稿日:2009年10月27日(火)11時39分18秒
   ご賛同ありがとうございます。
 昨年くらいから選手起用がどうも変だと感じています。
 だいぶぶんのドラファンがそれを感じているようですね。
 同監督が前に球場でお守りの入った財布が盗まれるという事件がありましたが、日蓮に関係のある某新宗教のお守りだとインターネットに書いてありました。
 

寫眞の保存

 投稿者:那須の権太  投稿日:2009年10月26日(月)22時10分43秒
  オロモルフ樣

》私はインターネットでの写真の扱いの知識が無く、那須の権太さんの書き込みを保存しようとするとき、お写真の保存が出来なくて悩んでおります《

えと、それはネット上にある色々な畫像を自分のパソコンに保存する方法の事でせうか。
であるならば、それはとても簡單です。

ただ私は「XP」しか使つたことがありませんので、ビスタのことは判りません。でもたぶん似たやうなことだと思ひます。從ひましてXPでの手順をご説明いたします。

保存したい畫像にカーソルを合せ、『右クリック』。メニューが開きます。
メニューの中の『名前をつけて畫像を保存』を普通に左クリックして下さい。
さうするとたぶん「マイピクチャ」のファイルが開きます。
そこでお好きな名前をつけて『保存』です。これで畫像がご自分のPCに保存されるはずです。


あ、bee樣が解説されてましたね。失禮致しました。
 

この掲示板に投稿された写真の保存

 投稿者:bee  投稿日:2009年10月26日(月)21時21分55秒
  オロモルフ博士

投稿された写真の保存は、写真をクリックすると別窓が開きますから、そこの写真を右クリックして「名前を付けて画像を保存」すれば博士のPCに取り込めます。
 

RE:落合監督

 投稿者:解法者  投稿日:2009年10月26日(月)13時40分46秒
  1.記者団インタビューの態度が悪い
  これは全くそのとおりで、人(記者)を馬鹿にした態度には見ていても
 腹が立ちます。記者はファンを代表している面もありますから、こういう
 態度はいただけません。
  とにかく態度のでかい人ですね。変わり者はかまいませんが、せめて
 野村監督並になって欲しかったです。ファンは監督が好きで球団を応援
 する人も多いと聞きますので、残念なことです。負けてもキチント記者
 の質問に答える原監督の態度には感服してます。
2.WBC派遣を断ったのはおかしい
  これは前のWBC派遣で中日の選手が数多く選ばれそのためペナント
 レ−スに支障がありましたから止むを得ない面があると思います。
  ただ、数人は出したらよかったと思います。
3.投手起用
  あれだけ素晴らしい選手を抱えていますのに、巨人に負けたというのは
 理解できません。投手起用の失敗の批判は免れますまい。
4・熱田神宮
  監督抜きで選手達が熱田神宮に参拝しているというのは初めて聞きましたが、
 監督に神頼みは嫌い、あるいは宗教的問題があるやもしれませんが、伝統です
 から参拝したら良いと思います。名古屋の人もオカシイと思っているのでは
 ないでしょうか。

  巨人がとても嫌いで中日を応援してましたが、残念なことでした。
 

オロモルフ号の航宙日誌3940『世相家事雑感』

 投稿者:オロモルフ  投稿日:2009年10月26日(月)10時51分52秒
  ▼落合監督

 ドラゴンズの落合監督の言動については、最近ではドラファンからも批判が沸騰しております。

1.選手起用に依怙贔屓があり偏っている。
2.投手起用が中四日とか打たれた投手の再起用などおかしい。
3.記者団インタビューの態度が悪い。
4.WBC派遣を断ったのはおかしい。

 ・・・などなどです。
 私はどれも当たっていると思います。
 とくにこの二年は変な選手起用が続いています。
 ただ、私が落合監督に不満を持つ最大の原因は上の四項目の中にはありません。
 では何が不満なのか?
 それは「熱田神宮を無視している」ことです。
 熱田さんは、日本全体を導いてくれた神さまですが、とくに名古屋やその周辺の地を開拓して現在の繁栄の基礎を築いてくれた神さまです。
(天照大神や日本武尊や草薙剣)
 ですから、プロ野球の中日ドラゴンズも熱田さんのお陰で存在しております。
 その熱田さんを無視して名古屋で指揮を執るのはおかしいと思うのです。
(どの球団も監督が先頭に立って由緒ある神社に優勝祈願をしていますが、ドラゴンズだけは監督抜きで選手達が熱田神宮に参拝しているのです。こんなに気の毒な事はありません。この事は宗教問題とは無関係です。神社が宗教法人に左右されるような宗教施設でないことは、神社の元締めである神社本庁の本に書いてあります)
 

オロモルフ号の航宙日誌3939『小学生の日本神話282』

 投稿者:オロモルフ  投稿日:2009年10月26日(月)10時49分58秒
  ▼『古事記』の神話 上巻 大国主神4

<稲羽の白兎4>

[承前]

(兎の話の続き)
「・・・このように言いますと、ワニたちは騙されて海の上に並びましたので、わたしはその上を数えながら渡って、この海岸に降りようとしたとき、「お前たちは騙されたんだよ」と言いますと、最後のワニが怒って私の毛皮を全部剥いでしまいました。それで泣いていたところ、大勢の神々が通りかかって、「海水を浴びて風に当たっているとよい」と教えてくれましたので、そのようにしておりますと、身体が傷だらけになってしまったのです」

[続く]

(この兎、自業自得とはいえ、痛いでしょうね!)
 

Re:曹洞宗大本山永平寺

 投稿者:オロモルフ  投稿日:2009年10月26日(月)10時48分7秒
   それは素晴らしいですね。
 永平寺といえば道元の曹洞宗の大本山。
 じつは私の父親系の先祖は曹洞宗です。
 祖母の系統が浄土真宗だったので現在の我が家の仏壇は曹洞宗と浄土真宗が入り交じっておりますけど。
 また詳しい紀行記など、お願いいたします。
(私はインターネットでの写真の扱いの知識が無く、那須の権太さんの書き込みを保存しようとするとき、お写真の保存が出来なくて悩んでおります)
 

曹洞宗大本山永平寺

 投稿者:那須の権太  投稿日:2009年10月25日(日)22時35分10秒
  先日、福井の永平寺へ行つてまゐりました。
曹洞禪の本場といふことでもあり、修行僧の生活を捉へたドキュメンタリーなども見て以前から興味がありましたので。
 

オロモルフ号の航宙日誌3938『世相家事雑感』

 投稿者:オロモルフ  投稿日:2009年10月25日(日)12時20分20秒
  ▼岡田外相

 ほんとうに何も分かっていない人だなあ・・・。

▼ドラの投手起用

 信じられないような変な起用法で負けております。
 ふだん中五日でも失敗の多い投手を中四日で起用して連敗です。チェン、吉見、中田と三人とも中四日で三連敗です。
 CSではヤクルトにも打たれていた浅尾をセットアッパーにして逆転負けしてしまいました。
 どうして山井や河原や小林を出さないのだろうか?
 とても不思議な投手起用です。

▼オランダ人と発明

 私は週刊誌はめったに読みませんが、一昨日の資料蒐集の途中で、家内が買った週刊新潮を見たら、高山正之さんの名物コラムに、日本人の世界的発明を盗んだオランダ人(および欧米人)の話が出ていました。
 私が『発明特許の日本史』に記したような事です。
 文系のエッセイストで特許の重要性を記す人は少ないのですが、それを具体的に記述する人はさらに僅かで例外的です。高山さんはその例外的な珍しい人です。あとは宮崎正弘さんくらいでしょうか。
 こういう人がもっと増えないといけません。

▼蘭姫御殿の屋根の清掃

 蘭姫の御殿(小屋)は城壁(ゲージ)の中にあります。
 ですから身体を屈めないと御殿には行けません。
 そのため掃除が難しく、内部は時々拭いておりますが、屋根は放置したままでした。
 それで10年以上も経ちましたので、屋根に埃が一杯溜まってしまいました。
 で、昨日は家内に手伝ってもらって、電気掃除機をかけ、ぼろきれを濡らして拭きました。なんとか積年の埃がとれました。やれやれ。
 

オロモルフ号の航宙日誌3937『日露戦争と無線電信74』

 投稿者:オロモルフ  投稿日:2009年10月25日(日)12時18分33秒
  ▼日本海海戦における三笠の無線電信機の損傷14

『軍艦三笠戦時日誌』における無電受信以外の記述(其の十)

**********

[承前]

(十二)無線電信ノ作動

三、無線電信ニ付キ将来改ラルヲ要スヘキ点左ノ如シ
  昨年八月十日ノ海戦ニ鑑ミ特ニ本艦前檣ニ予備無線電信機ヲ装備シ戦闘用トシテ
  其電信室ヲ比較的安全ナル防禦内ニ設ケラレタルノ一事ハ今回ノ戦闘ニ当リ偉大
  ナル利益ヲ与ヘタリ 即チ後檣倒レ全ク垂直線ヲ装備スル基礎ヲ失ヒシモ之ヲ前
  檣ニテ補ヒ又前部引込口附近大破シ円筒ノ一部ハ之カ為メ破壊セラレシモ電信室
  ハ全キヲ得タリ 若シ前檣ニ此の設備ナカリセハ再ヒ八月十日ノ不便ヲ見タルヘ
  キヲ思ハハ真ニ寒心ニ堪ヘサル所ナリ 爰ニ於テ今後戦時ニ当リ旗艦ニ備フヘキ
  無線電信機ニ付キ聊カ卑見ヲ述ヘントス
 (一)二檣艦ニアリテハ本艦ノ如ク前後両檣ニ各独立ノ無線電信ヲ装備シ其電信室ハ
   共ニ「マスト」附近中下甲板防禦区劃内ニアルヘク之カ為メ起リ来ル艦橋ト通
   信連絡ノ不便ハ現時本艦ニ装備シアル如ク着信紙揚降筒ヲ用フルカ若クハ欧米
   各国商店ニ見ユル所ノ圧搾空気ヲ使用スル送達ノ法ヲ以テ補ヒ其引込口ハ前部
   ノモノハ専ラ戦闘用トシテ「マスト」内腔ヲ利用センコトヲ希望ス 是レ平時
   ニ在テ上甲板低ク垂直線ヲ導クハ甚タ危険アルコトアラハ今回ノ戦闘ノ実験ニ
   ヨリ上甲板以上ノ無防禦物ハ凡テ破損若ハ損害ヲ受クルモノタルヲ思ハハ勤メ
   テ是等ノ副造物ヲ建設セサルノ必要アリト信スレハナリ

(この三、も、きわめて貴重な証言となっています。何が大変で何が良かったかが、とてもよく分かるからです。黄海海戦の経験を生かして前後に無電機を設けたことが卓効が有ったとしています。フォールトトレラントの一種ですが、これは確率からいっても当然のことです。ただし費用の面でも要員の面でも、旗艦以外は難しかったでしょうし、小型艦では無理です。(一)にあります「マスト」内腔を引込口利用の件は、次回以降にも出てきますのでそこで説明します。着信紙揚降筒は当時の軍艦ではよく用いられたようです。筒を使って圧搾空気で連絡用紙を送る方法は、私が若いころは電話局などで一般的に使われていました。今でも使っているかもしれません。この(一)は、厳重な防禦壁の内部以外はほとんど損傷を受けたことを物語っております。写真を見ても無数の弾痕があります)

[続く]

**********

▼参考写真

 日本海海戦直後の三笠の弾痕。司令部の下、兵卒用トイレの傍らしい。
 砲弾の破片でメチャメチャです。
 もしここに無電機が有ったらひとたまりもありません。
 

オロモルフ号の航宙日誌3936『世相家事雑感』

 投稿者:オロモルフ  投稿日:2009年10月24日(土)11時29分33秒
  ▼しばらくは疲れがとれません

 ――と思いますので、低調な書き込みが続くかもしれず、申し訳ないです。
 久しぶりに行った場所なので、途中で道に迷ってしまい、たまたま郵便配達の人がいたので教えてもらったら、正反対の方角に歩いていた事がわかり、ガックリ。
 そういうわけで、足が痛いです。
 平常に戻るのに一週間はかかるでしょう。

▼桜井茶臼山古墳

 ――の内部の写真が新聞に出ていました。
 これは珍しい写真です。頭頂部以外はあまり発掘されていなかったようですから。
 全長200メートルを越える巨大な前方後円墳です。
 時代もひじょうに古いです。
 卑弥呼の墓とされる箸墓よりは新しいようですが、それでも現在崇神天皇や景行天皇の墓とされる前方後円墳よりもむしろ古いらしい。
 としますと、『日本書紀』には記されていない天皇に近い豪族だったのか、それとも実は崇神天皇の真の御陵はこちらだったのか・・・などなど、空想はいくらでもできます。
 あとひとつ、近くに謎の前方後円墳があります。メスリ山古墳です。茶臼山より巨大で250メートルもあり、時代はほぼ同じです。
 つまり、大和朝廷が大和の地に落ち着いて発展し外国とも交流しはじめた崇神・垂仁・景行天皇の時代に、あと二つ、これら有名天皇の御陵(と伝えられてきた前方後円墳)に匹敵する前方後円墳が有ったわけです。
 いったい誰の墓なのでしょうか?
 興味は尽きません。

▼加湿器

 寝室の加湿器は必需品でして、ずっと使っていました。もう10年以上です。
 で、今年も使おうと出してきて電気を入れたら、うまく動かず、変な状態になってしまいましたので、買い換えました。
 二万円しない品ですけど、ずいぶん進歩していると感じました。一応日本製となっていますが、どこまでがそうなのかは分かりません。
 今年からは書斎にも入れようと、もう一台買うことにしました。
 電気代はとても安いです。

▼甘夏

 甘夏が美味しくなるのは来春ですので、まだ青いままですが、少しずつ大きくはなっています。
 蘭姫は相変わらず枕に頭を乗せて寝ております。
 犬小屋のシールを開始しました。風が入らないように、犬小屋の隙間にテープを貼ります。
 そのあと、ゲージの周囲をシートで囲います。
 そして、毛布を入れてアンカを入れます。
 去年までの毛布は、失禁によって猛烈に臭くなっているので捨てました。
 けっこうお金がかかります。
 古本買うのをやめないと、財布がもちません。

 ↓↓↓↓↓
 

オロモルフ号の航宙日誌3935『小学生の日本神話281』

 投稿者:オロモルフ  投稿日:2009年10月24日(土)11時26分7秒
  ▼『古事記』の神話 上巻 大国主神3

<稲羽の白兎3>

[承前]

 大穴牟遅神はその兎を見て不思議に思い、
「お前はどうして泣き伏しているのか」
 ――とおたずねになりました。
 すると兎は答えました。
「私は隠岐島にいましたが、ここまで渡りたくなりました。しかし方法がありません。そこで海にいるワニ(*1)をだまして、「どちらが一族の人数が多いか数えよう。だからお前は自分の一族をぜんぶ連れてきて、隠岐から気多の岬までずっと並びなさい。そうしたら私はその上を走りながら数えよう。そうすればどちらが多いか分かるだろう」このように申しました」

*1:神話のワニは前にも出てきました。そこで記しましたが、サメのことだろうという説が有力なようです。

[続く]
 

Re:4.12 謀略で長屋王自殺(天平元年(七二九)二月)

 投稿者:オロモルフ  投稿日:2009年10月24日(土)11時24分45秒
   これは小説やドラマにもなっている有名な事件ですね。
 悲劇の主人公ですね。
 御妃の吉備内親王は元明天皇の御子で元正天皇の妹ですよね。
 藤原一族の凄さも感じます。
 当時の木簡の出土は新聞などにも出ていましたけど、超A級の歴史資料ですね。
 木簡に代表されるA級資料は、『日本書紀』や『続日本紀』の記述の正しさを例証することが多く、戦後の左翼史観を吹き飛ばしますね。
 

Re:6.イギリスでは「黙秘権」の保障がない。

 投稿者:オロモルフ  投稿日:2009年10月24日(土)11時23分40秒
   なるほど、黙秘権の問題もはじめて知りました。
 日本の人権主義者の欺瞞は、別のところでもいろいろと指摘されているので、感じてはおりましたが、解法者さんのご指摘は勉強になります。
 問題は、人権主義者に騙される人がとても多いという現実です。
 この現実を打破しないと、日本社会の正義は守られませんね。
 

奈良時代にこんなことが−一言主大神は語る

 投稿者:ハチマキおじさん  投稿日:2009年10月24日(土)10時10分10秒
  4.聖武天皇の御代(724〜749)

4.12 謀略で長屋王自殺(天平元年(七二九)二月)
 奈良朝最大の政変すなわち長屋王の変は、二月十日の記事が告げておる。
「天平元年(七二九)二月十日 左京の住人である従七位下の漆部造君足(ぬりべのみやつこきみたり)と無位の中臣宮処(みやこ)連東人らが、「左大臣・正二位の長屋王はひそかに邪道を身につけ、国家を倒そうとしています」と密告した。天皇はその夜、使者を派遣し三つの関を固めさせた。また、式部卿・藤原朝臣宇合(うまかい)らを派遣し六衛府の兵士を引率して長屋王の邸宅を包囲させた」
そして、十一日には一品の舎人親王・新田部親王、…、正三位藤原朝臣武智麻呂、…ら(六人)を長屋王宅に派遣し、その罪を糾問させておる。ところが、長屋王は十分釈明できなかったか、あるいは釈明しても無駄だと判断したのじゃろうか、翌十二日に自宅で自殺してしまったのじゃ。また、妻の吉備内親王および内親王の息子(四人)も首をくくって死んだのじゃ。ところが、同じ長屋王の子供でも藤原不比等の娘が産んだ子供は誰一人死んでおらぬ。長屋王の変は、藤原氏が仕組んだ謀略だったことは定説になっておる。その事は、『続日本紀』自身が認めておる。後に密告した東人が、長屋王の厚遇を得ていた大伴宿禰子虫によって斬殺される事件が起きる(天平十年七月)。その記事の中で、東人が長屋王を誣告したからだと述べておるのじゃ。

 では、なぜ藤原氏はこのような陰謀を図ったのか。それには、前に述べた本章2項と10項とが関係しておるのじゃ。朝廷での勢力を強化したい藤原氏にとって基王(もといのおおきみ)の誕生は願ってもないことじゃった。しかし、10項で述べたように基王の夭折によってその願いは吹き飛んだのじゃ。そのため次に狙ったのが光明子の皇后擁立じゃった。2項のように令を重視する長屋王が、令の原則を破って臣下の娘を皇后にすることなど容認するはずがなかったのじゃ。そこで目の上のコブを除こうとしたわけじゃ。当時朝廷の首座にあった長屋王を葬るにはこのような手段しかなかったのかも知れぬ。

 近年、長屋王宅の発掘によって七万点を超える木簡が出土し、新たな事実が明らかになってきておる。今後とも出土したあるいは出土する木簡によって新たな事実が見つかることじゃろう。しかし、事件の全容は究明しかねるじゃろう。最近の疑獄事件でさえその真相は解明しきれぬのじゃから。

http://www12.ocn.ne.jp/~koushin/

 

誰〜もイギリスの刑事司法制度のことは言わない(9)

 投稿者:解法者  投稿日:2009年10月23日(金)12時51分53秒
  6.イギリスでは「黙秘権」の保障がない。
  アメリカでは容疑者の取調べに関しては必ず「黙秘権」を告げる
 必要があり、それを怠ると「無罪」となる。日本でも憲法で
 「黙秘権」の保障が定められている。正確には「不利益な供述」
 の強要の禁止である(38条1項)。刑事訴訟法でも「黙秘権」
 の保障が定められている(291条3項)。(「黙秘権」の保障と
 「不利益な供述」の強要の禁止とは意味が異なるが、説明が長く
 なるので省略する)
  イギリスでは「黙秘権」の保障が長らく認められていたが、
 1994年の刑事司法および公共秩序法により、被告人が黙秘しても
 そのことから被告人に不利益な推認をすることが認められるよう
 になった。どうしてこういうことになったかというと、被告人の
 権利よりも公共性、つまり治安を優先した方が国家の利益に沿う
 と考えられるようになったからである。人権先進国とされるイギリス
 でもこの有様である。
  これも日本の「人権主義者」真っ青の措置で、彼らがイギリスの
 刑事司法制度に言及しない第二の理由である。
7.イギリスでは私人公訴が原則である。
  イギリスでは被害を蒙った私人(個人・法人)が加害者を公訴
 することが原則となっている。フランス・ドイツなどの大陸法諸国
 でも同じでむしろそれが世界的には一般的となっている。これは
 被害者がその損害の回復などを求めて加害者に刑罰を科すことを
 国家に求めるということが通常に人を納得させ得るという考えから
 来ている。それを国家の公訴官(検察官など)に委ねていては
 その運用が恣意的になるという危惧があるからでもある。ならば、
 日本の「人権主義者」も「私人公訴制度」の採用を強力に主張し
 たらよい。それが全く見られない。不思議でしょうがないのである。

  黙秘権の保障でもそうだが、日本で認められていればそれが国際的
 な基準であると考えがちであるが、そういうことは全くない。
  先に公訴権の時効についても指摘したが、日本の制度はむしろ
 世界から見たら異端であることを知るべきである。
  特に人権主義者は世界の制度の良いこと取りをするから、彼らの
 発言には要注意である。むしろ嘘が多いと考えた方がよいと思える。
 

オロモルフ号の航宙日誌3934『世相家事雑感』

 投稿者:オロモルフ  投稿日:2009年10月23日(金)10時54分36秒
  ▼資料調査

 昨日は一日、日露戦争関連の資料調査に行っていましたので、すっかり疲れてしまって、何も書けません。
 でも、ある程度は収穫がありました。
 これまで幻だった資料を発見したのです。
 いずれご説明いたします。
 

オロモルフ号の航宙日誌3933『世相家事雑感』

 投稿者:オロモルフ  投稿日:2009年10月21日(水)12時13分0秒
  ▼ようやく批判が・・・

 テレビで政治問題が話題になるとき、これまでは徹底した民主党ヨイショでしたが、少しずつ批判も出てきましたね。
 ただ、批判のコメントが有ったあと、アナウンサーが必死でヨイショするfaxを読み上げたりしております。
 思わず笑ってしまいます。

▼今朝の蘭姫

 朝から昼過ぎまではいつもこんな風です。
 小屋の外に出てもヨロヨロしています。
 しかし夕方になると元気が出て、散歩に行きたがります。
 飼い主に似て夜型になってしまいました。
 内弁慶で社交嫌いで夜型というのはそっくりです。犬は飼い主に似るというのは本当ですね。
 食事は一日一回で、二日に一回は残します。
 病気する前の三分の一がやっとです。
 ただし家内がお八つをやるし、薬を飲ませるときにお菓子にくるみますから、栄養不足というほどではありません。

 ↓↓↓↓↓
 

オロモルフ号の航宙日誌3932『日露戦争と無線電信73』

 投稿者:オロモルフ  投稿日:2009年10月21日(水)12時05分16秒
  ▼日本海海戦における三笠の無線電信機の損傷13

『軍艦三笠戦時日誌』における無電受信以外の記述(其の九)

**********

[承前]

(十二)無線電信ノ作動

二、数日前来海上風雨烈シカリシ為メ厖大ナル彼カ垂直線ハ之ニ堪ヘ難ク予メ降下シタ
  ルカ若クハ之カ為メ切断セラレ復旧スルノ遑ナク已ニ我領海ニ臨ミ戦闘準備ヲ調ヒシ
  タメ遂ニ垂直線ヲ挙クルノ時機ナカリシナラン 之ヲ要スルニ初メテ我ト敵対行動
  ニ入リシ彼等ハ無線電信ノ斯ク迄必要ナル処以テ自覚スルニ至ラス随テ之カ使用ニ
  重キヲ置カサリシモノト認ムルノ外ナシ 其二十八日我艦隊ノ聚散離合意ノ如ク其
  必然無線電信使用ノ結果ト察シ延引ナカラ之ヲ掲ケ妨害ヲ試タルモノナランカ
  以上ノ如ク今回ノ海戦ニ於テハ幸ニシテ必要ナル時妨害ヲ受ケサリシト雖トモ之ヲ
  以テ今後ヲ推スルハ無論甚タシキ錯誤ヲ来スヘシ 何トナレハ苟モ多少無線電信上
  ノ能力ト経験トヲ有シタランニハ其妨害ノ挙ニ出ツヘキハ見易キノ道理ナレハナリ
  故ニ今日鋭意研究セラレツツアル同調法ノ完全ヲ期スルハ軍事上必須ノ事ナラント
  信ス

(さすがは伊地知彦次郎艦長です。この第二項で重要なのは、「ロシア側は無線電信の重要性についての認識が不十分であったのだろう」および「今後は妨害対策として「同調法」の実用化が大切である」・・・この二つの意見ですが、これは後の研究や進歩を見ますと、まさに至言であったと分かります。戦争直後によくこれだけの事を書いたものだと感心します。ロシア側が日本の無電連絡を妨害しなかった理由については、じつにいろいろな説が多くの書物に書かれていますが、根本には無電のような繊細な通信技術への理解不足と苦手意識が有ったと思います。有線電信でも、日露戦争の前に大陸でロシアが占有していた地域は通信事情が劣悪だったが、変わってドイツが占有したら、たちまち改善されたと記録されています(『国際通信の日本史』参照)。要するに精密技術の運営が苦手なのです。さらに個々の技術的理由としましては、木村駿吉は捕獲艦の無電機を見て「送信電力が受信機に漏れ混む機構となっているのでたちまち故障しただろう」と感想を述べています。事実捕獲艦のドイツ製無電機は使用に耐えず、日本製に置き換えています。また私の感想の一つとしましては、蓄電池の性能劣化があります。妨害電波は何十時間も連続して出さねば意味がありませんが、そういった連続使用に蓄電池が耐えられたかどうか疑問です。艦載発電機は当時はきわめて不安定でしたし・・・)

[続く]

**********
 

Re:4.11 タレントの争奪(神亀五年(728)四月)

 投稿者:オロモルフ  投稿日:2009年10月21日(水)11時34分12秒
   なるほどねえ、思わず笑ってしまうような史実ですね。
 格闘技系の人材を囲いたがっていたのですね。力の強い女性もタレントだったとは!
 いつも考えるのですが、奈良時代に、物理とか数学とかに強い人材を集めて、自然界の法則を研究させたら素晴らしかったですね。そういう事は史書には無いんでしょうか。
 天皇が「物はなぜ落ちるか研究せよ」とか「月までの距離を測れ」とか問題を出して賞金を与えたら良かったですね。
 馬や牛を使わなくても自動的に動く車を発明せよ――などと問題出したら良かったのに、といつも思います。
 日本人はもともとそういう事は得意ですから、良い答えを出せば貴族にするとか、すれば、凄い成果が出たかも・・・!?
 

奈良時代にこんなことが−一言主大神は語る

 投稿者:ハチマキおじさん  投稿日:2009年10月20日(火)17時21分48秒
  4.聖武天皇の御代(724〜749)

4.11 タレントの争奪(神亀五年(728)四月)
 四月二十五日に、天皇は次のような勅を出された。
「聞くところによると、もろもろの国司・郡司らは、管轄区域内に騎射(うまゆみ)や相撲(すまい)に有能の者または力の強い者がいると、王侯・貴族の求めに応じて彼等を送り込んでしまう。このため、詔があって捜し求めてもすでにふさわしい人材がいない。今後はこのような事態があってはならない。もし違反者が有れば、国司は位記を剥奪し現職を解任し、郡司はまず罪を与え勅にしたがって解任せよ。… およそこうした種類の有能者は、国司・郡司が予め知って、よく心掛けて選定・指名しておき、勅が来た時には即時に貢進するようにせよ。以上のことを全国に告げ、ことごとく知らせるようにせよ。」
騎射は、五月五日の節会で行われるもので今で言う流鏑馬じゃ。これに有能な者は人気が高かったのじゃ。また、相撲は言うまでもなく七月七日の相撲節会の行事を意味しておる。したがって、相撲の強い者も引く手あまただったのじゃ。ちょっと意外なのは、「力の強い者」のことじゃ。原文では膂力者(ちからのひと)となっておる。これは、力婦とか膂力(りょりょく)婦女とか呼ばれた女性で、諸国から貢上され後宮に配属された女性のことと考えられておる。確かに、力の強い女性は貴重だったかもしれんの。

 このようなタレントは、当時は大変人気が高く、王侯貴族が先を争って抱え込んでおったのじゃ。そのため、朝廷が貢上させようとしても能力の高い者はすでに囲い込まれており、思うように集められなかったのじゃ。そこでこのような勅が出されたわけじゃ。それにしても、国司や郡司を解任してしまうとは、朝廷の怒り心頭ということじゃろうか。

 現在の大学における推薦入学制度も、一芸に秀でたものを抱え込むという点では、似たようなものではないかの。高校でも、野球や陸上の強化のために優秀な中学生を集めておる。何時の世でも、優秀なタレントは大切にされるということじゃ。

http://www12.ocn.ne.jp/~koushin/

 

オロモルフ号の航宙日誌3931『世相家事雑感』

 投稿者:オロモルフ  投稿日:2009年10月20日(火)12時18分17秒
  ▼クライマックス・シリーズ

 やれやれ、やっとドラは第二ステージに進出です。
 ヤクルト相手に苦戦の連続で二勝一敗。
 ドラにとってヤクルトというのは天敵なんです。
 レギュラーシーズンで自分より下位のチームで負け越したのはヤクルトだけです。
 中日のシーズン成績は81勝62負1分。
 ヤクルトは     71勝72負1分。
 全体の成績ははるかに中日の方が成績良いのに、11勝13敗という負け越しなのです。
 わたしはテレビで大部分の試合を見ていますが、館山、石川、由規から点が取れません。二塁三塁の得点圏には出るのですが、あとが続かず、たまに得点してもすぐに逆転されてしまいます。
 この暗示にかかったような状態がCSでも出てしまいました。
 どの試合も、毎回のようにランナーを二塁三塁に進めるのに、そこから先がダメです。でもまあ勝ち越したのは、やはり投手のがんばりです。
 但し今日の試合は、引退決定の立浪と井上が大事な所で打ち、さらに後半では藤井と平田という若手が打って得点しました。これは大きかったです。
 いやはや、それにしても苦しい三連戦でした。
 さて、こういう試合をしていては巨人には勝てません。
 下手すると連敗です。
 短期決戦ですから神懸かりになってほしいですね。
 実力ではかないませんが神懸かりになれば勝てます。

▼次郎柿

 だいぶ葉が落ち、色が濃くなってきました。
 写真の中央付近に腐ったようになったのが一個ありますが、鳥に食べられたのです。
 まだ渋いうちから突くのですね。

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オロモルフ号の航宙日誌3930『小学生の日本神話280』

 投稿者:オロモルフ  投稿日:2009年10月20日(火)12時17分3秒
  ▼『古事記』の神話 上巻 大国主神2

<稲羽の白兎2>

[承前]

 大穴牟遅神の兄弟一行が気多の岬(けたのみさき/*1)に着いたとき、そこに肌が赤くなった兎が倒れていました。
 いじわるな兄弟たちはその兎に、
「おまえはこの海水を浴びて、風に当たって、高い山の上で寝ていなさい。そうすれば治る」
 ――と教えました。
 そこでその兎は、教えられたとおりにしました。
 ところが、海水が乾いてくると、兎の身体の皮が風に吹かれて裂けてしまいました。
 兎は痛くて泣き伏してしまいました。
 兄弟のあとから荷物を担いでやってきた大穴牟遅神は、その姿を見てふしぎに思いました。

*1:現在の鳥取県気高郡。鳥取市の白兎海岸に気多岬という伝説地があります。
 

Re:誰〜もイギリスの刑事司法制度のことは言わない(8)

 投稿者:オロモルフ  投稿日:2009年10月20日(火)12時15分46秒
   おかげさまで、この問題が少しずつ分かってきました。

>したがって、「警察」が独自に「逮捕状」を用意して容疑者を
>逮捕することは当然のことと考えられている。

>いちいち「裁判所」の許可を必要としていては容疑者
>を取り逃がすと考えられているのであろう。

 わたしはこんな事は日本でも当たり前だと思っていました。
 テレビの推理ドラマで日本の制度を知りましたけど・・・。
 

誰〜もイギリスの刑事司法制度のことは言わない(8)

 投稿者:解法者  投稿日:2009年10月19日(月)13時47分7秒
  5.イギリスでは裁判官に「逮捕状」発布の独占権はない。
  これを聞くと、日本の「人権主義者」も<真っ青>である。
 だから、イギリスの刑事制度に沈黙する最大の理由はここにある。
  前述のとおり、イギリスにおいては「警察」が絶大な権限を有し、
 国民も治安維持のためにこれを認めてきた。アメリカ、日本のよう
 に警察=人権の弾圧者などとは国民は考えてない。
  したがって、「警察」が独自に「逮捕状」を用意して容疑者を
 逮捕することは当然のことと考えられている。「捜索令状」について
 も同じである。いちいち「裁判所」の許可を必要としていては容疑者
 を取り逃がすと考えられているのであろう。
  ところが、あまりに「警察」の権限が強くなり「誤認逮捕」が
 問題となったので、「裁判所」の許可を得て逮捕したり、捜索する
 ことが認められるようになった。しかし、依然として「警察」から
 「令状」なしの逮捕・捜索権は奪われてない。両者の違いは「裁
 判所」の許可を得て逮捕したり、捜索した場合に誤認などの問題
 が生じたとしても損害賠償の対象から除外されるが、警察が独自
 に逮捕・捜索した場合には損害賠償の負担が課せられることが
 あるということにある。
  しかし、警察は迅速に犯人を逮捕したいときは裁判所の許可
 なく独自に逮捕することが行われている。特にイギリスでは宗主国
 だったパキスタンからの移住者が多く、その一部がテロリスト化して
 いることが大きな社会問題となっているが、こうしたテロリストを
 逮捕するときは独自に逮捕状を発布して逮捕することが行われて
 いる。人権よりも治安の保全が優先され、しかも迅速性が要請され
 ているからである。また、捜査状況が裁判所に漏れることも恐れて
 いることも副次的な理由となっている。
 

オロモルフ号の航宙日誌3929『世相家事雑感』

 投稿者:オロモルフ  投稿日:2009年10月19日(月)11時23分5秒
  ▼ああドラゴンズ!

 やっぱりドラはヤクルトが苦手なんですね。
 巨人以外でドラが負け越しいるのはヤクルトだけ。
 なぜか不思議ですが捕手の谷繁のサインが読まれてしまいます。
 あと石川や館山がなかなか打てません。
 でもかろうじて一勝一敗。
 泣いても笑っても今日で決まります。
 カギは森野とブランコの打撃でしょう。

▼昨日の蘭姫

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オロモルフ号の航宙日誌3928『日露戦争と無線電信72』

 投稿者:オロモルフ  投稿日:2009年10月19日(月)11時21分38秒
  ▼日本海海戦における三笠の無線電信機の損傷12

『軍艦三笠戦時日誌』における無電受信以外の記述(其の八)

**********

[承前]

(十二)無線電信ノ作動

一、魯艦ニ備付ケタル無線電信ハ情報ニアルカ如ク独乙「スラビー」式ニシテ其精巧
  ノモノタルヤ分捕艦ニ就キ見シ所ニシテ此ノ機器ヲ完全ニ活動セシメタランニハ
  同社宣言ノ如ク百海里ノ遠キ已ニ我無線電信使用ヲ探知シ妨害ヲ加ヘ得シナラン
  然ルニ其挙ニ出テサリシハ全潜航若クハ我通信ヲ窃取スルノ目的ヲ以テ故意ニ発
  信ヲナササリシカ又ハ其技能之ヲ活用スル迄ニ至ラス長途ノ航海ト熱帯地方通過
  ノ為メ垂直線ハ自然ニ導通不良トナリ其引込口漏洩ヲ正シ受信機完全ニ作動セサ
  ルモ当局者ハ疲労ノ為メ之ヲ修理スルノ遑ナク「コヒラー」ノ感度鈍リシモ之ヲ
  製造スルノ道備ハラスシテ其有効距離ノ著シク減シ其我無線電信ヲ感セシトキ已
  ニ我カ哨艦艦影ヲ認メ旅順及浦塩艦隊ニ於テ認メシカ如ク戦闘ノ準備ト共ニ垂直
  線ヲ降下セシモノカ

(捕獲したロシア軍艦を調べてみますと、テレフンケン式やスラビー・アルコー式だったそうです。また、ごく一部に旧式なロシア製もあったらしい。とくにテレフンケンが多かったようですし、テレフンケン社のドイツ人技師も一部軍艦に同乗していたが途中で逃げてしまったという話が伝えられています。テレフンケンはドイツの有名な企業で、日露戦争後には日本海軍も輸入して参考にし、一時期は正式兵器として登録もされています。きちんとした使い方をすれば日本製より優秀だったからで、それを模範として、明治40年には改良形を日本でも作って正式採用しています。捕獲されたテレフンケン製の構造ははっきりはしませんが、電源に交流発電機を使い、原始的ではあっても同調回路を持っていたらしいです。あと波長計も附属していたらしい。なおスラビー博士はドイツの学者でマルコーニに刺激されて独自の無電機を発案した人物です。このスラビー教授がアルコ伯爵の資金援助で無電実験をして開発したのがスラビー・アルコ式です。これはAEGというドイツの著名電気会社が作りましたが、これとは別にブラウン管発明者として知られるブラウン教授が無電を研究してブラウン式を造り、製造したのがジーメンス・ハルスケ社で、このAEGとジーメンス・ハルスケの合弁会社として出来たのがテレフンケン社。テレフンケン社が両方の良い所やその他の知識を集めて作ったのがテレフンケン式無電機です。ブラウンは無電分野においても先駆的な研究――送信回路を独立させる結合回路の発明や複数アンテナによる指向性アンテナの発明など――をしておりマルコーニを感心させています。そういうわけで、当時のテレフンケン社製無電機はマルコーニ式を上回るほどの性能を持っていたわけです)

[続く]

**********
 

オロモルフ号の航宙日誌3927『世相家事雑感』

 投稿者:オロモルフ  投稿日:2009年10月18日(日)11時59分29秒
  ▼編集者の戸惑い

 日露戦争関連の図書を集めておりますと、戦後の左翼教育の成果が日露戦史の隅々にまで及んでいることが分かりまして、恐ろしくなります。
 書いている人の何分の一かは「分かっている」人のようですが、そういう人の作品を編集する側は戦後教育で洗脳された人たちですから、かなり戸惑っているようです。
 日露戦争は悪い日本が大陸を侵略した侵略戦争だと教わってきたのに、資料を見るとそうでもなさそうだ――という戸惑いなのでしょう。
 ですから、とても奇妙な戦史解釈を時々見ます。
 自分が子供の頃から習ってきた歴史と客観的史実との違いを何とか中和させようと、不思議な解釈をするのでしょう。
 哀れを感じます。

▼キンカン

 甘夏やキンカンはまだ黄色くなっていません。

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オロモルフ号の航宙日誌3926『小学生の日本神話279』

 投稿者:オロモルフ  投稿日:2009年10月18日(日)11時53分22秒
  ▼『古事記』の神話 上巻 大国主神1

<稲羽の白兎1>

 この大国主神には、大勢の兄弟神がいらっしゃいました。
 しかし、どの神も、国土を大国主神にまかせました。
 その理由とは次のようなものでありました。
 その兄弟の神々は、みな、稲羽(いなば/*1)の八上比売(やかみひめ/*2)と結婚したいと思い、あるとき、一緒に稲羽に行きました。
 そのさい、大穴牟遅神(おおあなむじのかみ/*3)に袋を負わせて(*4)、従者として連れてゆきました。

*1:因幡国、いまの鳥取県東部。

*2:因幡国八上郡という古い地名があり、そこから付けられた名。いまの鳥取県八頭郡。

*3:大国主神のこと。前回記しましたように大国主神には全部で五つの名前があり、場面によって使い分けられています。

*4:貴人が旅行するとき、旅行用品を入れた袋を身分の低い従者がかついで行きましたから、この事によって兄弟の中での大国主神の地位が印象づけられます。

[続く]
 

Re:エディアカラ動物群その4

 投稿者:オロモルフ  投稿日:2009年10月18日(日)11時50分52秒
   ううむ、なにしろ古い化石(のようなもの)しかありませんから、謎解きも大変ですね。しかしこういう研究をして暮らしている学者は幸せですね。
 憧れますよ。
 

エディアカラ動物群その4

 投稿者:那須の権太  投稿日:2009年10月17日(土)20時06分56秒
  ザイラッハーといふ人は、そのユニークな着想と優れた觀察力、想像力で斬新な解釋を提唱する人であり、度々訪日もしてをり、日本の多くの研究者にも大きな刺戟と影響を與へてゐる人物であります。

最初の來日は1968年、ドイツの古生物學の名門であるチュービンゲン大學の地質古生物學教室・博物館の教授に就任してゐた時(最近はアメリカ・エール大學に移つてゐるやうです。)で、來日時の補佐役を務めた、現東京大學名譽教授で古生物學者である速水格博士が、九州大學の助手時代の體驗談として、近著『古生物学』((財)東京大学出版・2009,9)の中でその時のエピソードを語つてゐます。

“ドイツの大学のプロフェッサーは地位と気位が高いと聞いていたので最初は緊張したが、ザイラッハー教授は気さくで、機知とユーモアそして好奇心あふれた人で、お世話をする者の方が大いに楽しませてもらった”さうであります。

しかしその一方で、“博多名物の屋台にぶら下がっている大きな赤提灯がどうしてもほしいといいだしたときは、この人はいったいなにをしに日本にきたのかなと訝った”さうでもあります。

速水博士は古生物の中でも「二枚貝」の權威ですが、このときのザイラッハー教授も二枚貝の生體採取が目的だつたらしく、あちこちの海岸を採取して歩いたさうです。
教授は、天草富岡で採取した「イヨスダレ」といふ二枚貝が、水槽の底質に潛り込む行動を夜中まで觀察してゐたそうですが、それを見てゐた速水博士(當時は助手)も、その時は教授の觀察目的がよく分らなかつたさうです。

そして、“教授の来日中の行動と研究が脈絡をもって理解できたのは、数年たって教授の有名な二枚貝の論文(Seilacher,1972)の別刷が送られてきたときであった”といふことであります。

ザイラッハーのヴェンドビオタ假説ですが、もちろんそのまま學會に受け容れられた譯ではありません。エディカラ動物群の正體については今も諸説紛々であり、“地衣類すなはち藻類と菌類が合體して作つたコロニーの壓痕に過ぎない(オレゴン州立大學、グレゴリー・レタラック)”といふやうな大きな物議をかもした説や、“「クサビライシ」と呼ばれるキノコの傘の裏側のやうな形態をしたサンゴとディキンソニアの形態の類似性がみられる(カリフォルニア大學バークレー校、ジェームズ・バレンタイン)”ことから、再度、腔腸動物説を唱へるもの等、毎年のやうに新説が出されてゐます。

ザイラッハーはその後、自説を少し後退させ、ヴェンドビオタ界説を留保しつつも、現在の後世生物の系統から非常に早い時期に分岐した、全後世生物の姉妹群(ヴェンドゾア)ではないかといふ説を提唱してゐます。

確かに、ディキンソニアと竝んで多く採集される「シクロメデューサ」は、現生のクラゲの傘の部分にその形態が非常に似てゐます。通常は五百円玉程の丸い印象化石ですが、大きなものは直徑が20センチから30センチに達します。

アデレード大學のスン・ウェイグォは、これをハチクラゲ綱に屬する比較的高度に進化したクラゲとみなし、シクロメデューサからエディアカリア、ブラキナを經てマウソナイトに到る進化の流れを提唱しました。

しかしザイラッハーはこれに異義を唱へます。シクロメデューサにはクラゲの死後に出來る傘のまわりの皺が無く、口や消化管等も見られないのでクラゲなどの腔腸動物(刺胞動物)や環形動物ではないといふのです。

エディアカラ紀の生物たちは總じて扁平で、何かを“食べる”口がなく、從つて消化管もないのです。どつちが頭でシッポなのかも判らない。身體が扁平なのは、榮養素を體表から直接取り入れるのに必要だつたからだ、とザイラッハーは考へたのでありました。

(つゞく)

************************************

參考文獻

「謎と不思議の生物史」金子隆一・同文書院・1996,8
「生命2(40億年はるかな旅)」NHK取材班・日本放送出版協会・1996,6
「古生物学」速水格・(財)東京大学出版会・2009,9
「フィールド古生物学」大路樹生・(財)東京大学出版会・2009,8

***********************************

上から、

シクロメデューサの化石(出典  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%83%A1%E3%83%87%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B5

マウソニテスの化石(出典 http://ameblo.jp/eliot-akira/entry-10071552614.html
 

Re:4.10 皇子誕生の喜び(神亀四年(七二七)閏九月)

 投稿者:オロモルフ  投稿日:2009年10月17日(土)12時15分28秒
   基王の話は聞いたことがありますが、少々喜びすぎですね。
 孝謙天皇のことを考えますとき、自然に現在の皇室が頭に浮かびます。
 用心の上にも用心していただきたいです。
 皇室内での警官発砲事件などを聞きますと、恐ろしくなります。
 それから、皇室典範の改正は喫緊の政治問題だと思いますが、政治家は誰も何もいいませんね。
 

オロモルフ号の航宙日誌3925『世相家事雑感』

 投稿者:オロモルフ  投稿日:2009年10月17日(土)12時01分23秒
  ▼褒め殺し

 オバマ大統領のノーベル平和賞について、アメリカでも批判が高まっているようですね。こういうのって褒め殺しとは言わないんだろうか?
 25パーセント宣言で評判の鳩山総理も、思い切って50パーセントとか言ったらノーベル平和賞くれるかも!?
 もしそうなったら日本民族への褒め殺しですね。
 進んでも地獄、引いても地獄。日本滅亡が本当に近づきます。
 聞こえてくるのは北京政府の高笑い・・・。
(中国で盛んに作られている反日侮日ドラマの悪役日本人の名前に「鳩山」をつけないように、北京政府は命令を出したそうですね。したたかなアチラと能天気なコチラ)

▼昨日の蘭姫

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オロモルフ号の航宙日誌3924『日露戦争と無線電信71』

 投稿者:オロモルフ  投稿日:2009年10月17日(土)11時54分0秒
  ▼日本海海戦における三笠の無線電信機の損傷11

『軍艦三笠戦時日誌』における無電受信以外の記述(其の七)

 これまでと同じく、「五月二十七日、二十八日戦闘詳報」を見てゆきます。
 十二番目の項目として「戦闘中ノ実験ニ依リ将来改良ヲ要スヘキ点」というのがあります。ここで実験とは実際の体験という意味です。
 この中がさらに多くの節に分かれており、(月+唐)発による苦労(*)などが記されていますが、その(十二)に無線電信に関する伊地知彦次郎艦長の体験から来る長文の意見があり、当時の無線電信の実態や、幹部の知識のレベルを知る貴重な資料となっています。
*:砲弾が砲筒内で爆発してしまうこと。

 無線についての艦長の意見は超A級資料ですので全文を記しますが、長いので数回に分けます。
 以下引用――

**********

(十二)無線電信ノ作動

戦時無線電信ノ通信機関トシテ艦船ニ極メテ必要ナルコトハ開戦以来種々ノ機会ニ於テ認識セラレシ所ナリシモ理想上完全ナル同調法ノ発見セラレサル今日彼我両艦隊ノ無線電信有効範囲ニ近接スル時如何ナル程度迄之ヲ使用シ得ルヤ又相互ニ妨害ノ為メ共ニ通信ヲ仕遂ケ能ハサルモノトスレハ如何ナル処置ヲ施スヘキカ等ハ頗ル研究ニ価スル問題ニシテ嚮ニ旅順艦隊及ヒ裏塩艦隊トノ交戦中共ニ大ナル妨害ヲ受ケサリシモ旅順陸上無線電信ノ所ハ不尠妨害ヲ試ミタリ 以上ノ事実ヨリ察スル時ハ敵艦ノ戦闘準備ヲ調ヘタルトキハ全ク垂直線ヲ降下スルカ若クハ遠距離ニアリテハ其有効範囲ノ我レニ及ハサリシヲ以テナラント思考セリ 然ルニ今回破艦隊ノ東向スルヤ情報ニヨリ頗ル有力ナル無線電信機ヲ装備シ其相接近スル場合ニ於テハ殆ント我無線電信ハ之カ為メ圧倒セラレ偵察艦ヨリノ報告モ受信上恐ラク非常ノ苦心ヲ見ルヘシト窺ニ慮ヒシ所ナリシカ図ラサリキ戦闘ノ初期ニ於テ毫モ我カ哨艦ノ発信ヲ妨害セサルノミナラス其相接近シタルトキモ全ク我カ独専使用ニ委シ二十八日「イズムルド」逃走ノトキ僅カニ之ヲ使用スルヲ認メタルノミ 此ノ不可思議ノ敵ノ働作ハ何故ナルヤ今後ニ於ケル参考上必ス研究シ置クノ必要アリト信シ之ヲ敵捕虜ニ質サンコトヲ希シモ遂ニ其好機ヲ得サリシハ深ク遺憾トスル所ニシテ若シ敢テ想像ヲ逞フスレハ次ノ如クナランカ

(バルチック艦隊(上では破艦隊と書かれています)による無電妨害が少なかった理由は後々まで議論され、『坂の上の雲』にも疑問として書かれており、現在でもなお議論されている事ですから、この証言は特に重要なのです。なお「同調法」*という言葉を知っていたことは艦長の知識レベルの高さを物語っています。イギリスでマルコーニが同調法の特許を出し、特許権争いが起こった直後の時代ですから。以下次回)

*:同調法とは、ある周波数だけの電波を出し他の周波数は出さないようにする(受信も同様)方法で、大正以後は当たり前の事になりましたが、日露戦争の時代には特許争いになるほど斬新な技術でした。

**********

▼伊地知彦次郎艦長

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