《日本の伝統文化を大切にしよう》

日本の伝統文化や伝統技術を大切にしようという掲示板です。靖国神社、伊勢神宮などの神社も大切にいたしますし、古くからのお寺も大切にいたします。技術史にも力を入れています。本掲示板の主旨に反する書込、和気藹々としていない書込、礼儀や品位に欠ける書込、論理や文法が正しくない書込、小中高生へ悪い教育効果を与える書込、自己宣伝およびトンデモ本的主張は不可です。なお初めての方は年齢・職業・略歴などを大まかに記してください。以上に反する書込はコメントなしで削除または書込禁止いたします。(『オロモルフのホームページ』を経て他の二つの掲示板へもどうぞ。ボタンは一番下にあります)

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(無題)  投稿者:備中處士  投稿日:2008年 5月12日(月)21時10分22秒
   平成二十年、風薫る五月十一日、吉備國(岡山縣備前國・美作國・備中國・廣島縣備後國)は備前の、吉備津彦神社の磐座(いはくら)祭に參加、名にし負ふ「眞金吹く吉備の中山」(頼山陽外史の謂ふ所の「鯉山」)の山中を登拜させて戴きました。


●古今和歌集大歌所歌
眞金吹く 吉備の中山 帶にせる 細谷川の おとのさやけさ

●天慶九年、主基・備中國風俗神歌
常磐なる 吉備の中山 おしなべて 千とせを松の 深き色かな

●成島柳北の歌
荒れはてし 吉備の中山 なかゝゝに いますが如き 神の御社

●犬養木堂による注連柱
黄薇啓國、神武照輝千古
中山鎭地、黍稷馨香四時


 古名「きび」は、黄薇・吉備・吉美・氣比などとも書かれ、吉備の聖地である中山は、萬葉假名では吉備那珂邪馬と表示される。「邪馬」には、mountainの山と、神の坐す御山の意味があるが、勿論後者の謂ひである。其の神山の、西に備中國賀陽郡の吉備津神社(吉備三國一宮・備中一宮・官幣中社。社家は賀陽國造家絶え、現在の宮司は、社家六十九家の一、藤井氏。標柱の字は木堂犬養毅翁)、東に備前國津高郡の吉備津彦神社(式外社・新備前一宮・國幣小社。標柱の字は機外平沼騏一郎翁。社家は大守大藤内家)が鎭り坐す(兩社間一km餘)。祭神は、四道將軍の一、大吉備津彦命(五十狭芹彦命)。中山は磐座・古墳が無數に點在し、周圍八km・標高は百七十五m・面積七十五町歩と、大きくは無いものゝ、其の神祕幽玄は圖り知れない。吉備津宮と中山との關係は、大和の大神神社に於ける三輪山の如きか。神社が灰燼に歸すれば、磐座のみ殘る。備中吉備津神社の攝社・岩山宮の神璽は、一箇の巨巖なり。古事記に謂ふ所の吉備兒嶋(吉備)の國魂「建日方別」、即ち是なり。

 神山中山は、人の入山は許されてゐるものゝ、觀光地化は免れてをり、幸ひと謂はねばならぬ。但し松喰蟲にて、名だたる松は無殘なり。今囘、「吉備中山を守る會」の案内にて、此の神體山に入り、急峻なる道なき道を彷徨ひ歩いたのであるが、此の會に因る標柱等の整備、或は文化財助成金を乞ふ動き、案内電子化の企劃あつて、心許ないこと甚だしいが、主催の備前吉備津彦神社の後援がある由、御時勢と云ふものか、獨り之を悲しむ。然し行政の無理解・財政難は、其の整備を所謂ボランテイアの爲すがまゝに委ねてをる現状、故に却つて觀光地化されざるは、一縷の光明なり(苦笑)。良かれと思ふ奉仕團、要らぬ事をしなければよいものを(憤怒)。備前の吉備津彦神社には、備中の吉備津神社へ、強烈なる對抗意識あるやに聞き及ぶ。悲劇と謂ふべきか(悲歎)。山巓には奧宮たる磐座あり。此處にて神事・磐座祭、古へ太陽信仰の所據なり。又た八大龍王神の祠あり、北辰信仰の古蹟あり、鬼神・吉備冠者温羅(うら)の傳説あり。

 小生の究極目的、大吉備津彦命の御墓(俗稱、御陵・御廟・茶臼山古墳)に參拜。御鍵を開け、鳥居近くまで參進しての、特別參拜であります。去年・昨年は無かつた由。凡そ二十年前も、運よく特別參拜が叶ひました(前囘案内をして戴いた備前吉備津彦神社總代は、元校長先生の由でしたが、吉備一宮は、備前の吉備津彦神社にして、邪馬臺國は吉備國に在つたなぞと、大眞面目に語られて、御國自慢の類でせうが、困つたもんです)が、今囘も偶然に道福を得ました。此の御墓は、明治四十三年より宮内省の所管となれり。當年は岡山縣にとつて忘るゝ能はざるの歳、即ち
明治天皇の行幸あつて、縣の諸事整備が一擧に進んだ歳でありました。宮内廳委託の墓守、○田○○翁の簡單なる挨拶あり。小生が最も感動畏怖、戰慄が走つたのは、此の翁の言葉である。曰く、「

 此の御墓を守護し來りて十年、本日は特別に皆樣に御參りを戴きました。皆さん、上空を見て下さい。此處は、空の色が違ふ、空氣が違ひます。人が侵入したら、直ぐ判ります。洵に不思議であります。先づ、氣が違ふのです。此の御墓は、古へより吉備の國を見つめて來られました。難有いことであります。
 私は當初、突然に腰が痛くて、體が惡くなつて仕方が無かった。山が荒れてゐたのです。山が清まるに從ひ、治癒して行きました。難有いことであります」と。

 大吉備津彦命、御歳二百八十一にて、中山麓茅葺宮に薨去と傳へたれば、蓋し大神仙王にて坐すべし。吉備國の大明神・總鎭守であり、其の御足跡は、隣國(播磨・伯耆)は固より、出雲・越國・紀國にまで及びます。あなかしこ。
 

「道鏡事件の真相」(9)  投稿者:ハチマキおじさん  投稿日:2008年 5月12日(月)16時56分6秒
  D9 庶人として死去
 下野国に流されてからの道鏡の動向は分かりません。そして道鏡に関する最後の記事が、頭書に掲げたものです。その中で最初と最後の一文を再掲します。
「772(宝亀三)年4月7日 下野国が、造薬師寺別当の道鏡が死んだと言上した。
 … 死去した時は庶人として葬られた。」
『続日本紀』では、僧侶の死は「卒」と表現するのが通例です。ところが道鏡は「死」となっています。位人臣を極め法王にまでなった道鏡でしたが、最後は僧侶としての扱いまで剥奪されてしまったのです。下野国の言上のように単なる庶人の扱いなのです。しかし、善悪にかかわらず奈良朝の政治に大きな影響を与えたことは事実で、『続日本紀』が死に際してその伝記を伝えてくれているのはさすが史書であるとの感を持ちます。

 以上が『続日本紀』が語る道鏡の略伝です。称徳天皇の寵愛を得て、道鏡は僧侶の身でありながら天皇と同様の処遇を得るなど政治の実権を握り、専横をほしいままにしたことは十分見て取れます。しかし、自ら発案して皇位を窺ったわけではなく、道鏡を利用しようとした者の誘いにのったに過ぎないとも考えられます。また称徳天皇の死後に起きた道鏡の悪だくみは偽証との見方も可能です。さらには、称徳天皇の寵愛を得ることが出来たのは、道鏡が誠心誠意仕えたことに依るのでしょう。このように考えると、道鏡を妖僧、怪僧などと呼ぶのは、政治における専横への怨みが道鏡の全人格にまで及んだ結果であると思われるのですが、如何でしょうか。

http://www12.ocn.ne.jp/~koushin/

 

オロモルフ号の航宙日誌2590『ドラゴンズ日記:中五日』  投稿者:オロモルフ  投稿日:2008年 5月12日(月)12時58分2秒
   ドラの投手陣はバイオリズムに敏感なので、週に一度、日曜なら日曜、火曜なら火曜と曜日が決まっていると好投しますが、中五日とか中四日など、それを縮めると打たれることが多い。
 これは何年も前から何十回も言っており、むろん私以外の多くのドラファンが言ってきたことなのですが、ベンチは相変わらず相手チームとの相性の方を優先して間隔をいじります。
 で、その都度失敗。
 やれやれ・・・。
 

オロモルフ号の航宙日誌2588『明治天皇御集』  投稿者:オロモルフ  投稿日:2008年 5月12日(月)12時46分59秒
  ◆今月の本4

◎明治天皇御集委員會(編)『新輯 明治天皇御集(上下)』明治神宮(昭和三十九年十一月)

 明治天皇の御製の総数は93032首で、この数は日本和歌史上の最高記録だそうです。
(毎日何首つくらねばこの数にならないか、計算してみてください!)
 明治天皇の御製のすべてを納めたものは『御全集』と呼ばれ、全162冊で、宮内庁に保管されているそうです。
 すべて御歌所の職員や側近の方々によって墨書されたもので、読むだけでも大変な存在らしいです。
 有名な佐佐木信綱などが委員となって、この中から1687首を謹撰して活字化して大正末に公刊されたのが『明治天皇御集』です。
 和紙に印刷されたこの御集は私も古書で入手して、ときどき拝読しています。
 しかしこの数は、全御集にくらべて、五十五分の一(2パーセント以下)にすぎません。

 そこで戦後になって明治神宮では、もっと大部の御集を謹製したいという希望を宮内庁に伝え、佐佐木信綱らの方々を委員として、十数年の歳月を費やして謹撰し、ついに公刊されたのがこの本です。
 収められた御製は8936首におよんでいます。
 これは『御全集』の9.6パーセント、ほぼ十分の一にあたります。
 大正期の『明治天皇御集』の五倍以上になります。
 その後さらに大部な御集が編纂されたのかどうか存じませんが、明治神宮や伊勢神宮で眼にする明治天皇御製は、たぶん、この御集からとられていると思います。
 明治天皇はまさに天才であられたと思います。

◆というわけで、我が家の宝物です。
 ↓↓↓↓↓
 

オロモルフ号の航宙日誌2587『小学生の日本神話5』  投稿者:オロモルフ  投稿日:2008年 5月12日(月)12時45分56秒
  ◆出雲井晶さんの本の分析5

◎出雲井晶『母と子におくる教科書が教えない日本の神話』産経新聞ニュースサービス(平成十年四月)

<国生み(日本の国のはじめ)(1)おのごろ島>

 この章は、目次では一つですが、本文では(1)(2)(3)の三つに分かれています。

 天之御中主神(女神)は神々を集めて相談し、伊邪那岐神・伊邪那美神に天沼矛を授けて国つくりを命じました。
 両神が雲に乗って進むと黒雲が出たのでそれを矛で振り払うと虹色の天の浮き橋が現れたのでそれに乗り移り、矛で下界をかき回しました。
 下から「こおろ、こーろ」とうれしそうな音が聞こえます。
 矛を引き揚げると、矛についた塩水がしたたり落ちて、大きな島ができました。
 自然にころころと転がる島だから「おのごろ島」と名付けようと決めて、お二人は天の浮き橋から島へおりました。
 自然に転がる島――つまり地球が自転することを、古代人は直感で知っていたのです。
 古代人の直感はすごい!

**********

 アレンジしていますが、大体以上ように書かれています。
 地球の自転を古代人は知っていたなど、奔放な書き方ですが、最近の日本神話ではもっともよく売れた本である理由が、こういう所にあるのかも知れません。

◆2050年の極東地図
 ↓↓↓↓↓
http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/53377336.html

(これなんかまだ控えめな方ですね。日本人を皆殺しにして日本列島全部を中国の省にしてしまえ――とインターネットで主張する人たちも沢山いるらしい。それにしても日本人は呑気です。とくに若者がここまで呑気だと、もっと早くにこの地図が実現してしまうでしょう。持て、愛国心!)
 

Re:祝着至極  投稿者:オロモルフ  投稿日:2008年 5月11日(日)22時23分51秒
   備中處士さん、拙著に興味を持ってくださり、まことににありがとうございます。感激します(泣)。
 私はパートタイムライターとしてはかなりの数の本を出してきましたが、いつも出した直後に修正点が見つかって落ち込みます。
 今回もたぶん・・・?

>今日は備前國新一宮・吉備津彦神社の磐座(いはくら)祭に參加・・・・・
 すごいなあ・・・
 わたしなど、日本の伝統文化に目覚めたのが定年後ですから、ほんとに情けないです。
 

祝着至極  投稿者:備中處士  投稿日:2008年 5月11日(日)16時38分38秒
  オロモルフ樣

 『発明特許の日本史』ご出版、御目出たうございます。凄いですね、千餘頁の勞作が五千圓未滿とは‥‥。これは、原稿を御自身で入力され、出版社に渡された賜物でせうが、それにしても安い! 早速、購入させて戴きます。でも、猫に小判でせうけど。

 今日は備前國新一宮・吉備津彦神社の磐座(いはくら)祭に參加、名にし負ふ「眞金吹く吉備の中山」(頼山陽外史の謂ふ所の「鯉山」)の山中を登拜、大きな收穫がありました。些か疲れて候ふ。
 

オロモルフ号の航宙日誌2586『ドラゴンズ日記:代打』  投稿者:オロモルフ  投稿日:2008年 5月11日(日)12時32分12秒
   昨日は吉見がピリッとせず、序盤に四点取られて4:5で負け。
 中継ぎも危うい投球で、とくにドラには珍しく四球が多かったのが敗因ですね。
 といっても、最大の敗因は、言いにくいのですが、チャンスで代打立浪が併殺に終わったことです。同じアウトでも併殺で無ければ試合の行方は違っていたでしょう。
 立浪を使い続けるのは危険だと思います。
 若手を育ててほしいです。
 

オロモルフ号の航宙日誌2585『発明特許の日本史』  投稿者:オロモルフ  投稿日:2008年 5月11日(日)12時24分44秒
  ■ああ難産

『発明特許の日本史』がようやく刊行されました。
 10年近く前に企画しまして、資料を集め始め、最初はその一部を同人誌に発表、さらに南丘喜八郎さんの『月刊日本』や藤岡信勝さんの『歴史と教育』にも一部を発表。
 それから本格的な連載を、この掲示板やKABUさんやHISASIさんの掲示板にいたしまして、いろいろとご教示をいただき、それを数年かけて纏めました。
 その間いちばん苦労したのは発明家の生没年の調査や略歴・受賞歴の調査です。最近では個人情報保護法とかいうのがあるので、なかなか教えてもらえないのです。
 書き上げてからも、グラフがうまく印刷出来ないとか、写真がうまく印刷出来ないとか、じつにいろんなことがあった末に、ようやく刊行されました。

■書影

『発明特許の日本史』栄光出版社
 A5判二段組み。1040頁。
 定価4700円。
 店頭には出ませんので、もし興味のある方がおられたら、版元に直接申し込んでください。
 栄光出版社
 TEL:03−3471−1235
 FAX:03−3471−1237
(代金後払いの筈です)
(生没年調査や肖像写真などでお世話になった方には贈呈いたしますが、少々お時間がかかります)
 ↓↓↓↓↓
 

オロモルフ号の航宙日誌2584『日本と韓国の名字58』  投稿者:オロモルフ  投稿日:2008年 5月11日(日)12時22分31秒
  ■日本と韓国の名字58(韓国に多い一字苗字の日本での歴史6)

◆◆◆〈李〉◆◆◆続

歴史:続
(3)李忌寸
 李元環の後にして、天平寶字五年十二月紀に「唐人外従五位下李元環に、姓を李忌寸と賜ふ」と見ゆるより出づ。
『続日本紀』の当該年を見ますと、たしかに、天平寶字五年十二月十六日の條にそのようにあります。淳仁天皇の御代です。
 なお忌寸は「いみき」と読むらしい。

(4)紀伊
 朝鮮慶尚道道霊山の人李一恕、文禄の役帰化し、紀州候に仕ふ。
 儒教にくわしい学者だったようで、その息子も学者だったらしい。

(5)肥前
 李参平、慶長の役、帰化して、鍋島氏に仕ふ。後金江氏と称し・・・。

(6)薩摩
 日置郡にこの氏あり。

(7)肥後
 原田氏が出自を尋ねて李氏に改めた。朝鮮王族李宗閑より出づとぞ。

**********

 李氏は、金氏ほどではありませんが、あちこちに一族がいたようです。

[続く]

(最近体力が尽きているのに忙しくて、インターネットはなかなか進みません)
 

オロモルフ号の航宙日誌2583『ドラゴンズ日記:川井』  投稿者:オロモルフ  投稿日:2008年 5月10日(土)12時18分32秒
   なんだかあたふたした出来で二点とられてしまい、三回で交代。ノックアウトされたわけでもありませんが、ピリッとしませんでした。
 そのあとを受けた小笠原もホームランを二本打たれてがっくり。
 でも味方が七点とったので、7:4で勝ち。
 最後の岩瀬もノーアウト二三塁とか満塁とかできわどい勝利でした。
 でもウッズ以外の打線が当たってきたのは頼もしいです。とくに和田と中村のチャンスに強い打撃は驚異です。
 さて今日は吉見なのかそれとも意外な投手なのか、見物です。案外長峰だったりして・・・。
 

オロモルフ号の航宙日誌2582『甲類乙類の元祖』  投稿者:オロモルフ  投稿日:2008年 5月10日(土)11時49分34秒
  ▼今月の本3

◎橋本進吉『國語音韻の研究(橋本進吉博士著作集第四冊)』岩波書店(昭和二十五年八月)

國語に於ける鼻母音
國語史研究史料としての聲明
「盛者必衰」
波行子音の變遷について
駒のいななき
國語音韻の變遷
古代國語の音韻について
國語の音節構造と母音の特性
國語の音節構造の特質について
國語音韻變化の一傾向
附録
解説(龜井孝)

 橋本博士没後に編纂された全集(十二冊)の第四冊です。
『卑弥呼と日本書紀』を書くために甲類乙類に興味を持ってから、あれこれ勉強したのですが、その元祖の論文を読んだことがなかったので、これを買ってみたのです。
 じつに判りやすく、想像を排して論理的に書かれています。
 最初からこの大元の本を読めば良かったです。
 解説から先に読むのは素人の悲しさです。
 また、「駒のいななき」などは、最近テレビでよく喋っている学者の人の話の元がこの橋本先生の著作だと判る内容です。
 派手さのない、文字通りの碩学だったと感じました。
 全集が没後になったのも、橋本博士の地味なご性格によるようです。
 最近の古書では収穫と言える一冊でした。

▼書影
 ↓↓↓↓↓
 

オロモルフ号の航宙日誌2581『小学生の日本神話4』  投稿者:オロモルフ  投稿日:2008年 5月10日(土)11時47分35秒
  ▼出雲井晶さんの本の分析4

◎出雲井晶『母と子におくる教科書が教えない日本の神話』産経新聞ニュースサービス(平成十年四月)

 出雲井先生以外の子供向けの本(前にご紹介した本)で、伊邪那岐神・伊邪那美神の国生み神話の前がどのように書かれているのか、ごくかいつまんで記してみます。

◎平山忠義『日本の神話(玉川学園こどもの本)』玉川大学出版部(200309)

 伊邪那岐神・伊邪那美神(ひらがな表記)の国つくりから始まっているが、その発端部分に、
 天のみなかぬしの神とおおぜいの神様がいらっしゃいました。天のみなかぬしの神がほこをあたえた。
 ――とごく簡単に書かれています。

◎米山勝治『まんが「日本の神話」』モラロジー研究所(平成17年6月)

 この本はマンガですが、かなり本格的に書かれており、神世七代十二神すべてが書かれ、その働きが簡単に記されています。
 参考文献として、風巻景次郎『日本神話物語』、田辺聖子『田辺聖子の古事記』、倉野憲司『古事記』があげられています。
(マンガですがかなり凝って書かれていて、読むのが大変です)

◎鳥遊まき『世界一おもしろい日本神話の物語』こう書房(200601)

 本文は伊邪那岐神・伊邪那美神から始まりますが、序の部分に天之御中主神、高御産巣日神、神産巣日神のことが1頁ていど書かれています(表記はカタカナ)。

**********

 どの方も苦労して書いておられるように思います。
(なおこれらの著者はどなたも専門家ではなく、やさしい解説書を元にして子供向けに書いているようです)
 

千駄木庵日乘  投稿者:備中處士  投稿日:2008年 5月10日(土)09時38分38秒
  謹啓

 下記、是非とも御讀み下さい(千駄木庵日乘・平成二十年五月九日條)。
  ↓↓↓
http://shinomiya-m.txt-nifty.com/diary/

        備中處士 拜
 

オロモルフ号の航宙日誌2580『瞬滅式火花送信機について』  投稿者:オロモルフ  投稿日:2008年 5月 9日(金)13時52分51秒
   とつぜん技術の話になって恐縮ですが、昔の無線にお詳しい方、教えてください。
 明治期の火花送信のすこしあとで、瞬滅式というのが流行りました。
 これは明治の終わりに提案されたり研究されたりして、大正時代に盛んになり、しばらくして消滅した回路方式です。
 金属ギャップに火花を出して電波を発生させるのは最初期のヘルツの実験からマルコーニの装置から木村駿吉の装置まで同じなのですが、明治末にドイツの学者が、金属ギャップをとても小さくすると、ギャップの抵抗が増えて火花がすぐに消滅する。そうすると良質の電波が効率よく出る――という発見をしたのが発端のようです。
 金属ギャップの形状としては、その後の研究で、平板を重ねたり、一方の平板電極を廻転させたりして、瞬滅を達成したようです。後者は日本の発明らしい。
 瞬滅させれば良質の電波が出ることは、要するに衝撃波に近い振動をつくってそれを二次側の共振回路で共振させる――という原理でまあまあ理解できるのですが、ギャップを狭くするとなぜ抵抗が増えて火花が瞬滅するのかが判らないのです。
 なお実用機では、電極の間隔は0.4ミリとか0.2ミリとかいったものだったようです。何センチもあるマルコーニの無線機とはまったく違うギャップです。
 単純に考えると、ギャップが広い方が抵抗が大きくて瞬滅しそうに見えるのですが、放電というのは一筋縄ではいかず、本を読んでもどうも理解しにくいのです。
 というわけで、電極ギャップを狭めるとなぜ火花が瞬滅するのか、わかりやすい説明を、どなたかしていただけないでしょうか。

(これを書いたあと、別の掲示板で無線に強い方が、単位ギャップ長当たりの放電電圧が、ギャップが小さいほど大きくなることを教えて下さいました。ただし1ミリ以下のデータは無いので、そういうデータがもし有りましたら、どうかよろしく)
 

オロモルフ号の航宙日誌2579『ドラゴンズ日記:川上』  投稿者:オロモルフ  投稿日:2008年 5月 9日(金)13時50分8秒
   一時故障で二軍にいた川上が、昨日の広島戦で好投し、八回まで零点に抑え、九回は長峰が抑えて、7−0の完封勝利でした。
 打線も、ウッズ以外はなんとか繋がりました。
 これで今日からの巨人三連戦が楽しみです。
 といいましても、昨日の勝利は、広島の投手陣の手薄に助けられた感がありますので、今後どうなるかは判りません。
 苦しい試合が続くでしょうが、これから夏場に向けて、ドラの豊富な投手陣の効果が出てくると思います。
 なにしろ先発投手が余っている有様です!
 他チームがほしがっている先発投手が、現在一軍にいるだけでも、
 川上・山本・朝倉・中田・小笠原・吉見・川井・長峰・チェンと九人もおり、二軍には山井・久本・浅尾などがおります。
 圧倒的な投手力です。
 

オロモルフ号の航宙日誌2578『日本と韓国の名字57』  投稿者:オロモルフ  投稿日:2008年 5月 9日(金)13時48分45秒
  ▲日本と韓国の名字57(韓国に多い一字苗字の日本での歴史5)

◆◆◆〈李〉◆◆◆

読み:「き」「すもも」「り」「りい」「りん」
〈李〉という漢字で表示される日本の苗字には五種類があります。
 もちろん、李+◎という苗字は、〈李山(すりやま)〉〈李川(りかわ)〉〈李木(すもも)〉・・・のようにたくさんあります。

歴史:
(1)李姓
 倭漢氏の族にして、坂上系図に
「姓氏録、第二十三巻に曰ふ、阿智王・譽田天皇(應神天皇のこと)の御世、七姓の漢人等を率ゐて帰化す。七姓とは云々、次に李姓、是れ刑部史の祖也」
 とあり。アヤ(漢)、坂上等の條を見よ。
 ・・・以上のようにあります。
 漢や坂上の項目にいろいろと書かれていますが、それらは後で記します。

(2)李氏
 唐族にして、後に忌寸姓を賜ふ。
 天平勝寶二年紀に「唐人正六位上李元環」等見ゆ。
 ――とあります。
『続日本紀』の該当の年を見ますと、たしかにそのようにあります。同年二月十六日の條です。
 このころは、ハチマキおじさんの道鏡問題で話題になる孝謙天皇の御代です。

(倭漢氏の祖については、事典によって説明がずいぶん違うので、難しいです)

[続く]
 

Re:「道鏡事件の真相」(8)  投稿者:オロモルフ  投稿日:2008年 5月 9日(金)13時39分7秒
   道鏡がいかに遣り手だったかが判ります。
 でも仏舎利って、忽然と出現したりするもんでしょうか? 当時の人たちも疑問を感じたでしょうね。
 当時のインテリ階級が、仏教というものをどのように理解していたのか、疑問を感じます。
 ほとんど政争の道具みたいな感じがします。
 

Re:官僚丸投げ内閣  投稿者:オロモルフ  投稿日:2008年 5月 9日(金)13時30分1秒
   解法者さん、熱い土地で頑張るなあ・・・。
 福田政権には最初から何も期待していませんでしたが、そうかといって、倒れたあともっと悪くなる恐れもありますし、憂鬱です。
 

Re:サフィニアの剪定  投稿者:オロモルフ  投稿日:2008年 5月 9日(金)13時24分27秒
   これはこれは、mickさん、サフィニア剪定について、ありがとうございます。
 とてもよく判りました。
 買った時は花が二つか三つ咲いており、二週間くらいたった現在ではそれが五つか六つになっていますので、そろそろ切って花の数を減らすのかと思っておりましたが、いったいどのあたりから切るのか、迷っておりました。
 まだ一つも花が咲いていない株もあるので、それも切るのかと悩んでいました。
 しかしお話では、もっとかなり大きくなってから枝そのものを切ればよいことがわかりました。
(花を切るのかと思っていましたので)
 あと一ヶ月くらいしてから、切ってみます。
(写真に撮って見ていただきます!)
 ありがとうございました。
 

Re:古事記卷頭  投稿者:オロモルフ  投稿日:2008年 5月 9日(金)13時11分48秒
   備中處士さん、ありがとうございます。
 出雲井先生は昔からのいろいろな説を参考にしておられるようですね。
 私は知識が無くて判りませんが。
 今度の企画は『古事記』や『日本書紀』を研究しようなどという大それたものではなく、小学生に神話に親しんでもらうための本ですから、『古事記』と『日本書紀』そのものだけを参考にしようと思います。『先代旧事本紀』などではまた違う話もあるようですけど。
 あと、別の方の子供向けの本に国生み以前の神々がどのように書かれているのか、調べておこうと思います。
 

「道鏡事件の真相」(8)  投稿者:ハチマキおじさん  投稿日:2008年 5月 9日(金)09時59分42秒
  D6 法王に任じられ天皇と同様の処遇を受ける
 道鏡のもとに隅寺(海竜王寺)の毘沙門天からから美しい仏舎利が出現したとの情報が届きました。道鏡は自分の手柄のように天皇に報告しました。天皇は、大瑞であるとして大変喜び、766(天平神護二)年10月20日に、その仏舎利を法華寺に移し、詔して百官に礼拝させると共に、道鏡を法王の地位につかせました。同時に道鏡の弟・弓削浄人は正三位が授けられ中納言になりました。また、道鏡の腹心の円興を法臣(大臣相当の法位)に、仏舎利を発見した基真を法参議(参議相当の法位)・大律師としたのでした。法王の月料(毎月の食料)は天皇への供御に準じ、法臣は大納言に、法参議は参議に準じさせたのです。臣下で、供御に準じた処遇を得た者は空前絶後なのです。

 ところが、出現した仏舎利は基真の詐欺だったことが判明します。768(神護景雲二)年12月4日の記事によれば、「基真が毘沙門天の像を造り密かに数粒の珠玉を置いて仏舎利が出現したと称した。道鏡は、世人の目をくらまして自分の見つけた瑞兆としようと思い、天皇にほのめかし天下に恩赦を行い百官に位階を賜った」とあります。さらに、この記事では、基真が法臣・円興を侮ったため、飛騨国に退けられたとあります。仏舎利の詐欺が何時どのようにして明らかになったかは不明です。この詐欺事件にどの段階から道鏡が関与していたか分かりませんが、当初から道鏡の指示で基真が動いた可能性も考えられます。いずれにせよ、事件の罪は基真一人が背負わされたのです。

 767(天平神護三)年3月20日に、初めて法王宮職が設置されました。道鏡のために新設されたもので、その職員規模は、中宮職や春宮坊とほぼ同様でした。法王の発する命令や法王への情報の伝達を主たる職務としたものです。道鏡が、政治の実権を握るために新設した組織のように見えますが、太政官の上に位置するようなものではなかったようです。そして、道鏡の失脚とともに廃止されたようです(宝亀元年(770)八月)。

 6月から8月にかけて各地に瑞祥の景雲が現れたため、天皇は大変喜び8月に神護景雲と改元されました。景雲の出現は政治が正しく行われている証とされます。しかし、連年の飢饉に庶人が苦しむ中での景雲出現であり、道鏡による作為ではないかとの指摘もあります。

 政治の実権を握る中で、道鏡は各種の仏教保護政策を講じています。東大寺にも引けを取らない広大な西大寺の建立を称徳天皇に勧めたのは道鏡だと言われています。西大寺はもちろん、四天王寺、太宰府の観世音寺、西隆寺など各地の寺に広大な田地の施入が行われています。仏教を心から信奉した天皇は、南都の諸大寺に行幸参拝し、多くの財を寄進しています。

 769(神護景雲三)年正月二日に天皇は大極殿において朝賀の儀を受けられました。これは恒例の正月行事ですが、翌三日には法王道鏡が西宮の正殿に居り、大臣(藤原永手と吉備真備)以下が道鏡を拝賀し、道鏡自らが寿詞を告げております。これは道鏡が天皇を擬しての行いではないかと考えられます。

http://www12.ocn.ne.jp/~koushin/

 

官僚丸投げ内閣  投稿者:解法者  投稿日:2008年 5月 9日(金)04時56分30秒
   福田政権発足当時から懸念されていたが、官僚ベッタリ内閣ということが
現実となった。
 国民の利益より官僚の利益、省益ということになる。
 自民党を支持する者としては、首相を入れ替えないと解散が必至で自民党政権
が長期間にわたって政権を奪取できなくなる。
 その意味では福田政権打倒に賛成する。
 

サフィニアの剪定  投稿者:mick  投稿日:2008年 5月 8日(木)23時22分2秒
  オロモルフ様

園芸は、私の専門の隣ですので、簡単に説明させていただきます。

植物には、基本的にすべての葉の付け根に芽の原基(側芽)がありますが、その側芽がみんな成長すると、葉が重なって互いに影を作り合うため、光合成効率が落ちてしまいます。それを避けるために、それぞれの枝先の芽(頂芽)でオーキシンと呼ばれる植物ホルモンが合成され、その作用で側芽の成長は押さえられています。こうして、先端の芽だけが成長を続けるのですが、この現象を頂芽優勢と言います。頂芽を切り落とすと、頂芽からのオーキシン供給が失われるため、側芽が伸び始めます。これを頂芽優勢の打破と言います。

サフィニアで、早めの剪定(切り戻し)が勧められるのには、3つ理由があります。
一つ目の理由は、サフィニアは、ペチュニアを改良した品種で、反匍匐性の草なので、枝を長く成長させると間延びして見苦しくなることです。そこで、頂芽を切り落として頂芽優勢を打破し、側芽を伸ばすことで、コンパクトな株に維持します。この際に複数の側芽が伸びてきますので、枝数が増え、その分、花の数も増えて見栄えのする株になります。
二つ目の理由は、花が咲いた後放置しておくと、種が付くことです。植物にとって花は生殖器官であり、本来の目的は繁殖なので、種子に栄養が優先して回されます。そのため種がつくと、花付きが悪くなってしまうのです。もっとも、サフィニアは種間雑種で種はほとんどつかないので、ペチュニアほどにはこれは重要ではありません。
サフィニアに限らず、ペチュニアの仲間は頂芽を摘みながら、側枝を増やしていくのですが、側芽が古くなってしまうと摘心しても側芽が伸びずに枝自体が枯れてしまいます。この三番目の理由のために、「早く」剪定することが必要になります。

具体的な剪定方針としては、
1.株の直径を鉢の直径の2倍程度までにする。プランターでは幅の2倍程度を目安にして、これより伸び出してきたら、切り戻しをします。切るときは枝の長さを半分にするくらいのところで切ってください。
2.切る枝の付け根の方の葉が健全な緑色をしているうちに切る。葉が落ちてしまった後の側芽は、なかなか伸びてきませんので、緑色の葉を3枚以上残して切るようにしてください。
この2つくらいで、だいたい大丈夫だと思います。また、サフィニアは雨に弱いので、梅雨時はあまり咲かせずに梅雨明け後に満開となるよう、7月初めくらいに一度剪定してやると良いそうです。

以上、参考になりましたでしょうか。
 

古事記卷頭  投稿者:備中處士  投稿日:2008年 5月 8日(木)23時00分27秒
   神典たる『古事記』の卷頭を、洗手漱口の上、謹んで奉誦してみませう。


 天地の初發(はじめ)の時、高天原に成りませる神、名は天之御中主神。次に高御産巣日神、次に神産巣日神。此の三柱の神者、竝な獨神成り坐して、隱身(を治しめしたまふ)也。次に國稚く、浮脂の如くして、久羅下那洲多陀用幣琉之時に、葦牙の如と、萠騰之物に因りて、成りませる神、名は宇麻志阿斯訶備比古遲神、次に天之常立神。此の二柱の神も、獨神成り坐して、隱身也。上の件、五柱の神は、別天神。
 次に成りませる神、名は國之常立神。次に豐雲野神。此の二柱の神も、獨神成り坐して、隱身也。
 次に成りませる神、名は宇比地邇神、次に妹須比智邇神。次に角杙神、次に妹活杙神。次に意富斗能地神、次に妹大斗乃辨神。次に淤母陀琉神、次に妹阿夜訶志古泥神。次に伊邪那岐神、次に妹伊邪那美神。上の件、國之常立神より以下、伊邪那美神以前、併せて神代七代と稱す。
 是に天神、諸の命以ちて、伊邪那岐命・伊邪那美命、二柱の神に、是の多陀用幣流之國を修理固成と詔りごちて、天沼矛を賜ひて、言依さし賜ひ也。故れ二柱の神、天浮橋に立して、其の沼矛を指下して、畫きたまへば、鹽許々袁々呂々に、畫き鳴して、引上げたまふ時に、其の矛の末より、埀落る鹽之累積りて嶋と成る、是れ淤能碁呂嶋なり。其の嶋に天降り坐して、天之御柱を見立て、八尋殿を見立てたまひき。


 愚案、天地のはじまりは、書く御方が唯物論者、或は神樣も古代人と爲す平面史觀に非ざれば、哲學・宇宙觀・信仰心が、如何しても入つて參ります。故に人樣の物語を云々論評するは、大いに憚りがあります。怒られない程度に畏る々ゝ、いとつゝましやかに‥‥、然し無理ですね、小生には(苦笑)。さうだ、小學生ですから、卷頭だけは、古文のまゝ、暗誦させるのが良いかも知れません(無責任なるも、些か眞面目なる提言)。なほ小生が如き若年寄には、助言なぞ無理と云ふもの、未だ勉強不足、平にご容赦を。

 靖齋谷森大和介善臣翁は、「『天地初發之時、高天原に成りませる神、名は天之御中主神』、と訓まねばならぬ」と申された由ですが、洵に古意復活・中古以來の『高天原に成りませる神の名は』てふ、訓讀の誤りを正したと謂はねばなりません。其の何とも云ひやうの無い「かみ」、強ひて字づけて「天之御中主神」と稱へ奉る。
 又た卜部兼方神祇權大副『釋日本紀』に引く『大倭本紀』に、「隱身」を「治隱身」に作れり。百園敷田伊勢守年治翁の曰く、「『治』字を脱漏せり。隱身、幽事(かみごと)を治めるなり」と。
 「混沌とした世界の描寫。その中に天地のはじまりを告げる天之御中主神の聲が鳴り響いた」と。過去形は、ちと不味いのではと、恐察いたします。神樣は活發發地、現も「鳴り響い」(?)てをります。磐山友清歡眞翁の曰く、「敷田翁『しろしめしき』の訓は非なり。高貴の神々は、過去・現在・未來を治しめしておいでになるのだから、『かくりみをしろしめしたまふ』と訓んでほしい。隱身は、直接には、今日人間の目に見えぬものを指すが、目に見えるものは、目に見えぬものゝ投影であるから、この宇宙間の一切のものを意味するであらう」と。

 此に於て大道本教の基礎、惟神(かみながら)に定りて、大神業を進め給うたのである。オロモルフ博士が何時ぞや紹介されました、林兼明翁『神に關する古語の研究』(平成十二年十一月・冨山房干)他より引用させて戴いた、小生の舊稿があります。宜しかつたら、見てやつて下さい。
  ↓↓↓
http://nf.ch-sakura.jp/modules/newbb/viewtopic.php?topic_id=7&forum=8&post_id=3447#forumpost3447

 なほ西宮一民博士『古事記』(新潮社刊)の附録「神名帳」は評價が高き由、倉野憲司博士の『古事記全註釋』第一卷(昭和四八年十二月・三省堂刊)も參考となるでありませう。
 

オロモルフ号の航宙日誌2577『ドラゴンズ日記:山本昌』  投稿者:オロモルフ  投稿日:2008年 5月 8日(木)12時48分3秒
   山本昌が一軍に帯同しているという話は聞いていましたが、まさかこんなに早くに登板するとは思いませんでした。
 そして、久しぶりの快投で、六回まで零点。やや危なかった回もありましたが、何とか抑えてくれました。
 打線は久しぶりに繋がって、10点をとりました。
 まあ相手投手がノーコンだったこともありましたが、1.2.3.がつながったのが収穫です。
 まだダメなのは四番のウッズ。
 まさに六億円の置物状態です。
 それから、まだ眠ったままなのは、代打陣です。代打陣は、.050という信じがたい低打率です。
 昨日も、井上、立浪、谷繁と全部ノーヒット。
 これだと、若手を練習を兼ねて出した方がいいですね。
 

オロモルフ号の航宙日誌2576『小学生の日本神話3』  投稿者:オロモルフ  投稿日:2008年 5月 8日(木)12時47分1秒
  ▼出雲井晶さんの本の分析3

◎出雲井晶『母と子におくる教科書が教えない日本の神話』産経新聞ニュースサービス(平成十年四月)

<天地のはじめ(2)>

 混沌とした世界の描写。
 その中に天地のはじまりを告げる天之御中主神の声が鳴り響いた。
 その天之御中主神は高御産巣日神に姿を変えて天空から下へと広がった。
 さらに天之御中主神は神産巣日神に姿を変えて海底から上へと広がった。
 高御産巣日神と神産巣日神のお心はとけあい結ばれた。
 高天原からご覧になった天之御中主神が微笑むと、天と地は分かれた。
 そこに、分子や原子や素粒子をつくる宇麻志阿斯カ備古遅神が生まれた。
 天之御中主神の慈愛を冷暗所にもあらわすために天之常立神が生まれた。
 陸地をつくるために国之常立神が生まれた。
 雲や野原や草原をつくるために豊雲野神が生まれた。
 これらの神々はみな天之御中主神の変身なので誰にも見えない。
 つぎに生まれたばかりの大地を乾かして固めるご夫婦の神が生まれた。
 つぎに角を出す生き物や草木が芽吹く力をたくわえる角杙神・妹活杙神のご夫婦も生まれた。
 神々が次々に生まれる神を輪になって喜ぶと、その輪の中から伊邪那岐神・伊邪那美神が生まれた。
 この二神によって壮大な国生みと万物の神誕生へとつづく。

 以上のような構成になっています。
 われわれとしては、このあたりをどのように書くべきか、悩みます。
 出雲井さん独自の説明がかなりあるようなので・・・。

[続く]

▼ある社説
「あまりにも官僚的すぎる ― 後期高齢者医療問題に怒り」
↓↓↓↓↓
http://www.isenp.co.jp/rondan/rondan.htm

 この社説に全面賛成はしませんが、自民党よりは良い。
 

re:とにかく暑いよ  投稿者:オロモルフ  投稿日:2008年 5月 8日(木)12時40分34秒
  解法者さん、体に気をつけてください。
飲み水は大丈夫なんだろうか。
酷い土地にはなれているでしょうけど・・・。
 

とにかく暑いよ  投稿者:解法者  投稿日:2008年 5月 8日(木)07時11分29秒
   まだまだ熱砂に悩まされているが、阪神・中日とも快調のようですね。
いよいよマッチレースの様相を呈している感じがする。
 中日 心配することはないのではないですか。
そのうち阪神を追い抜きますよ。
 

オロモルフ号の航宙日誌2575『ドラゴンズ日記:嗚呼』  投稿者:オロモルフ  投稿日:2008年 5月 7日(水)12時12分42秒
   やれやれ、朝倉はなんとか踏んばったものの、打線がまったく繋がらず、引き分け。
 チャンスは無数にあるのに、あと一本が出ません。
 最後の森野の当たりも、良かったものの、いま一息。
 ダメだったのは、ウッズと李です。どちらかに一本出ていれば、勝っておりました。
 助っ人が三振と併殺打と凡フライのパレードでは勝てません。
 立浪と井上の代打も全くダメ。
 いろんな人が言っていますが、そろそろ立浪に代えて新井あたりを上げた方がいいですね。
 

オロモルフ号の航宙日誌2574『昭和の日』  投稿者:オロモルフ  投稿日:2008年 5月 7日(水)12時11分32秒
  ▲今月の本2

◎「昭和の日」推進国民ネットワーク(編)『「昭和の日」実現への道』展転社(平成十七年十月)

まえがき
第一部「みどりの日」改名請願運動
第二部「みどりの日」を「昭和の日」に改める国民ネットワーク準備会
第三部「みどりの日」を「昭和の日」に改める国民ネットワーク
第四部「昭和の日」推進国民ネットワーク
第五部 国会における「昭和の日」法案
第六部「昭和の日」成立報告・祝賀会
第七部「昭和の日」成立の意義
年表
あとがき

 長く親しんできた天長節である四月二十九日が、昭和天皇が崩御されたあと、なぜか昭和という時代や昭和天皇とは無関係な「みどりの日」になってしまいましたので、これを「昭和の日」に改名する運動が10年以上にわたってなされました。
 わたしは外野で視ているだけでしたが、それでも署名活動などはいたしました。
 本書は、熱心な憂国の士の運動が実って平成十七年五月二十日に「昭和の日」が公布されるまでの記録集です。
 展転社はこのような運動や出版を続けている愛国の出版社で、現社長の藤本さんは、いつぞや、拙宅にお出でになったことがあります。
 前社長の相澤さんといい現社長の藤本さんといい、地味ではありますが、息長く熱心に活動を続ける方の存在はじつに貴重だと思います。
 私が大金持ちなら、一兆円くらい寄付したい!

▲書影
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オロモルフ号の航宙日誌2573『日本と韓国の名字56』  投稿者:オロモルフ  投稿日:2008年 5月 7日(水)12時09分51秒
  ▲日本と韓国の名字56(韓国に多い一字苗字の日本での歴史4)

◆◆◆〈金〉◆◆◆(続続)

歴史(続続):
(6)気仙の金氏
 阿倍氏流の金爲時の家。
 後世の気仙城主は〈金野〉、〈今野〉、〈紺野〉など。

(7)岩代の金氏
 金新右衛門という文書がある。

(8)磐井の金氏
 阿倍氏流の金爲行が当郡によったため。〈今野〉の記録も。

(9)陸奥の金氏
 九戸郡久慈氏は、金氏(また今、昆)。本苗は昆なり――との文書。

(10)出羽の金氏
 田川郡平形に金氏あり。先祖は安倍という。

(11)小野姓横山党
 金氏に関係するらしい。

(12)下総の金氏
 小金本土寺過去帳に金弥三郎と名がある。

(13)雑載
 丹後国加佐郡に金荘という所。
 羽後、薩摩日置郡に高麗人裔金氏あり。

(14)その他
 今、昆、紺は金より。

(おわりの方はよく分からなくなりましたが、金氏は奈良時代から記録があり、新羅系とされ、のちに奥州に栄えたようです。朝廷が東北地方に移住させたからでしょうか)

 次は〈李〉です。
 

Re:「道鏡事件の真相」(7)  投稿者:オロモルフ  投稿日:2008年 5月 7日(水)11時58分55秒
   なるほど、こうやって詳細に調べていただくと、当時の複雑な政治情勢が浮かび上がってきますね。
 私は前々から思っていましたが、淳仁天皇って、なんだかとてもお気の毒。
 

「道鏡事件の真相」(7)  投稿者:ハチマキおじさん  投稿日:2008年 5月 6日(火)20時27分40秒
  D5 天平宝字八年に太政大臣禅師となる
 少し時代は遡りますが、749(天平勝宝元)年7月に聖武天皇が譲位し、阿倍内親王が即位して孝謙天皇が誕生します。しかしこの頃から政治の実権は光明皇太后が掌握します。具体的には皇太后のために設置された紫微中台を中心としてその長官である藤原仲麻呂が政治を動かしていきます。しかし、760(天平宝字四)年6月に光明皇太后が死去すると、仲麻呂の権力に陰りが生じ、前項で述べた孝謙上皇の国政掌握宣言が出ます(762年)。

 翌763年9月、道鏡は小僧都に抜擢されます。小僧都は、全国の僧侶を取り締まり仏教行政を統括する僧綱のうちで長官の僧正、次官の大僧都に次ぐ要職です。道鏡の抜擢は、孝謙上皇の病気治療の功績と考えて良さそうです。
『続日本紀』は、「小僧都・慈訓は僧綱として相応しくないので解任し、僧侶の推挙によって道鏡を小僧都に任命する」とあります。しかし、慈訓は道鏡が追放されるとただちに小僧都に復帰しています。従って、慈訓が、不適任であったわけではなく、仲麻呂の仏教政策を支えるなど仲麻呂と組んでいたことによると考えられます。ここにも、仲麻呂の影響を排除しようとする力が働いていると考えられます。

 764(天平宝字八)年9月に藤原仲麻呂が反乱を起こしますが、吉備真備らの力により半月ほどで鎮圧されます。すると、孝謙上皇は9月28日に「仏教を盛んにしようと願うなら、高い位がなければ民衆を従わせることはできない」との理由で、道鏡を大臣禅師の位につけたのでした。大臣禅師は、官職ではなく僧位と考えられますが、職封は左右大臣に準じて支給されました。

 道鏡が大臣禅師になった直後の十月に、放鷹司(ほうようし:鷹狩りに関わる官吏)を廃し放生司(ほうじょうし:捕獲した獣や魚を放つ官吏と思われる)を置いています。また諸国が御贄(みにえ)として肉や魚を献上することを止めさせました。これらは、道鏡の僧侶らしい政策の一環と考えられます。さらに770(宝亀元)年10月28日の記事に、「天平宝字八年の勅により僧侶の山林での修行が禁じられた」とあります。『続日本紀』にはこの禁止令は見られませんが、山林修行の実体を身をもって知る道鏡が、仲麻呂の乱の残党が山林に逃げ込むことの危険性を熟知しての施策ではないかと考えられます。さらには山岳修行に事寄せた道鏡自身への反発・叛逆を恐れたのかも知れません。しかし、この禁止令は当時の仏道修行の流れを阻害し、仏教そのものの発展の妨げとなり、前記宝亀元年の記事によって廃止されています。

 764(天平宝字八)年10月9日に、孝謙上皇は淳仁帝を廃し淡路公としてその母と共に淡路島に配流してしまいました。そして自ら重祚して称徳天皇となったのです。同月20日には官職の任命がありました。特に注目されるのは、道鏡の弟・弓削浄人が、衛門督・従四位下に加えて上総守を兼務していることです。浄人が従四位下に任じられたのは仲麻呂の乱が起こった9月11日ですが、何時衛門督になったのかは不明です。三ヶ月前の七月には、浄人は授刀少志で従八位上という卑位だったのです。道鏡が、自らの勢力を強めるため弓削一族を高位高官・要職に就けようとしていた典型と言えます。しかし、弓削一族の規模は小さく、浄人以外には人材も少なかったようです。衛門督は、五衛府長官の一つで皇居の諸門を守る武官を統御する重職です。政権を掌握する者は、その腹心を五衛府の長官に任じるのが常なのです。道鏡は、皇居ばかりでなく自身をも守らせたかったのかも知れません。

 765(天平神護元)年8月に、従三位・和気王(舎人親王の孫)が謀反を企てたとして罰せられる事件が起きました。先祖に祈願した文書に「己が仇の男女あり、これを殺したまえ」とあったそうです。この男女は、称徳天皇と道鏡なのです。道鏡の政治に対し激しい不満が貴族達にもあったということでしょう。各地で飢饉があり、無位の庶民でも米三百石を売却したら位一階を昇進させるなどの勅が出ていた頃です。

 道鏡が大臣禅師になってから一年、称徳天皇は765(天平神護元)年10月紀伊国に行幸し、帰途河内弓削行宮に立ち寄りました。ここで道鏡ゆかりの寺と思われる弓削寺と、聖武天皇が大仏建立を発願する契機となった智識寺とに食封を施入しています。そして閏10月2日に、「大臣禅師が朕を守り助け下さるのを見ると、 … 太政大臣を授けてもその任に堪えられる」として、称徳天皇は道鏡を太政大臣禅師に任命し、文武百官に詔して太政大臣禅師を拝賀させました。まさに道鏡は故郷に錦を飾ったのです。「拝賀」は、本来天皇に対する礼ですから、道鏡を天皇並みに扱うよう指示したとも考えられます。
職員令2によれば、「太政大臣は、天子の師範であり四海の民の規範である。また、政治の姿勢を正し、天地自然の運行を穏やかにする。適任者がなくば欠員とせよ」となっています。大宝律令以後、臣下でこの地位についたのは専横を極めた藤原仲麻呂(大師と言った)が最初です。死後の贈官ですら、藤原不比等と舎人親王の二例に過ぎません。道鏡はまさに位人臣を極めたと言えるでしょう。

 翌766年6月に、正六位上の習宣朝臣阿曾麻呂が従五位下を授けられました。のちに「道鏡事件(宇佐八幡宮神託事件)」の仕掛け人になる人物です。誰の推挙で出世できたのでしょうか。また、7月には道鏡の腹心の円興が中律師から大僧正に抜擢されました。道鏡の地盤固めの一環でしょう。

http://www12.ocn.ne.jp/~koushin/

 

オロモルフ号の航宙日誌2572『ドラゴンズ日記:中田』  投稿者:オロモルフ  投稿日:2008年 5月 6日(火)12時22分48秒
   何回も書きましたように、セコイ投手起用が原因で、小笠原に続いて中田も沈んでしまいました。
 毎週火曜に投げて好成績だったのに、それをどうして月曜に投げさせるのか!
 こうなると明日の朝倉も危ないです。
 中六日で投げていたのに、中10日もあけてしまうのです。
 これではかえって調子が狂うでしょう。
 相手が広島なので頑張ってほしいのですが・・・。

 昨日の収穫は長峰の一軍昇格試験投球ですね。なんとか三人で抑えました。
 長峰は小林と同じ入団六年目の左腕で、もともとは山井と双璧で活躍する筈の投手でしたが、うまくいかず、しばらく二軍でした。
 その二軍で調子を上げて中里に代わって一軍昇格となりました。
 今度は先発でも頑張ってほしいです。
 広島戦では朝倉のあと、たぶん川井→川上でしょう。
 川井は投手豊作の年の入団で今年四年目の若手です。
 昨日投げた中継ぎの金剛も四年目です。去年のウリーグのセーブ王です。
 同じ年の入団は、中田・鈴木・石井・金剛・川井・樋口で、怪我で辞めた樋口以外は、全員が一軍で活躍した経験を持つという豪華メンバーです。
 

オロモルフ号の航宙日誌2571『世相雑感』  投稿者:オロモルフ  投稿日:2008年 5月 6日(火)12時21分20秒
  ◆子供の数が過去最低を更新

 総務省が発表した4月1日現在の推計人口によりますと、日本の15歳未満の子供の数は1725万人で、去年より13万人減り、27年連続の減少となって、過去最低を記録したそうです。
 総人口に占める子供の比率も13.5パーセントで、これも過去34年間連続して減少。
 都道府県別では、一番多いのが沖縄の18.1パーセント、少ないのが東京都の11.7パーセントだそうです。
(2008年5月4日19時03分  読売新聞より)

 何回か書きましたが、日本の将来を何とか明るいものにしたいとあれこれ考えるとき、常に壁として立ちふさがるのが少子化問題です。
 どんな案が浮かんでも、少子化によって「それは不可能だ」という結論になってしまうのです。
 少子化問題について、政治家もマスコミも呑気すぎると思います。

◆今月の本1

◎朝鮮総督府『朝鮮史のしるべ』朝鮮総督府(昭和十一年三月)

一 時代分け
二 半島の曙光
三 楽浪郡の消長
四 韓・●の民
五 高句麗の強盛
六 百済・新羅と任那
七 南北対立の形勢
八 新羅の強盛
九 隋・唐の来征
一〇 新羅の一統
一一 下代の新羅
一二 高麗の国基
一三 外難と李・崔二氏の専権
一四 江華遷都
一五 元寇と高麗
一六 高麗より李朝へ
一七 南北の二問題
一八 文献整備
一九 仏教と儒教
二〇 明党の禍
二一 文禄・慶長の役
二二 明・清の際
二三 学問の新傾向
二四 東洋の開港と朝鮮
二五 統監と総督政治
参拠書目
索引
対照年表

 何か知りたいことがあったときに、やさしく読めそうです。

◆書影
 ↓↓↓↓↓
 

オロモルフ号の航宙日誌2570『小学生の日本神話2』  投稿者:オロモルフ  投稿日:2008年 5月 6日(火)12時20分25秒
  ◆出雲井晶さんの本の分析2

◎出雲井晶『母と子におくる教科書が教えない日本の神話』産経新聞ニュースサービス(平成十年四月)

<すばらしい私たちの先祖の古代人たち>

 母親ではなく小学生への前書きに当たる部分です。
 いまの小学生と同じように古代人も自然を不思議に思っていたこと。
 古代の自然はとても綺麗だったこと。
 古代人は、自分で生きているのではなく生かされていると感じていたこと。
 天地すべての創り主を視ていたこと。
 したがってあらゆるものに神の名をつけたこと。
 古代人は限りない善意の創り主に見守られて底抜けに明るく生きていたこと。
 わが国だけが持っている文化が、遠い昔から語り継がれてきたこと。
 元明天皇の御代に、その物語を語り部の稗田阿礼から太安万侶が文字で書き取って『古事記』が出来たこと。
 その『古事記』の神代の巻が「日本の神話」といわれること。

<天地のはじめ(1)>

「日本の神話」の書き出しは“天地のはじめの時、高天原になりませる神の名は天之御中主神・・・”であること。
 高天原ってどこ?
 大宇宙が高天原でもある・・・。
 天之御中主神は天空から地中のはてまで、太古から未来永遠に、あらゆる所、どんな小さな生き物にもどんなきたないと見える物の中にも、生きて働いておられること。
 みなさんも古代人のように心を澄ませて、共に宇宙になりひびいておられる天之御中主様の声を聞いていきましょう。

**********

 これら冒頭の部分には、出雲井先生のお考えや解釈が色濃く出ているように思います。
 私の場合、このような書き方をすべきかどうか、迷うところです。
 

オロモルフ号の航宙日誌2569『ドラゴンズ日記:打線』  投稿者:オロモルフ  投稿日:2008年 5月 5日(月)11時40分20秒
   セコイ投手起用の影響が出ておりまして、昨日もきわどかったです。
 でもまあ吉見は二点に抑えたので、何とか及第点でしょう。
 きわどかった原因は打線にあります。
 二回以降、ほとんど毎回のようにランナーを二塁三塁に送っているのに、点が入りません。八回など、中村ノリが頑張ったものの、ワンアウト満塁で零点。
 今日こそ打線よ繋がってくれ!
 

オロモルフ号の航宙日誌2568『世相雑感』  投稿者:オロモルフ  投稿日:2008年 5月 5日(月)11時38分56秒
  ■電波嬢

 ラジオ創生期の無線雑誌である『無線電話』の大正13年8月号に、延原謙の名で『電波嬢』というロボットSFが掲載されました。
 日本におけるもっとも古いロボットSFの一つです。
 しかし、作者とされる延原謙の創作とは考えられず、当時はよくあった翻案だろうと思っておりましたが、原作者が分かりません。
 原作者不明のままに、同人誌に掲載したのですが、これに対して井上晴樹さんがその原作をつきとめたと、教えて下さいました。
 井上さんは『日本ロボット創世記』や『日本ロボット戦争記』で知られる人で、書誌資料の調査研究では日本有数の方です。
 で、その井上さんも上記著作の執筆中は原作不明の状態だったのですが、執筆後についに発見なさったのです。
 出典は、ガーンズバックの「サイエンス・アンド・インヴェンション」の1922年6月号で、原著者はCLEMENT FEZANDIE。
 よくぞ発見なさったと、驚嘆しました。

■リアルタイム世論調査より

「チベット独立に賛成ですか? 反対ですか?」

賛成:650(89.5パーセント)
反対: 31(4.27パーセント)
その他(不明、白紙):45

 インターネットの世論調査と社会の現実って、ほとんど結びつきませんね。

■サフィニアの剪定?

 サフィニアって、花が咲きだしたら、早期にその枝を切ってしまうとよい。
 そうするとそのあと、どんどん咲くようになる。
 こう教えてくれたし、説明書にも書いてあるのですが、「早期」っていったいどういう次期なのか、それが分かりません。
 どのくらい咲いたら切るんだろう?
 柿の剪定の本を読んだときもそうです。
 その本を持って柿の枝を前にすると、何をどうしたらいいのか、まったく分からなくなるのです。

■『日本ロボット創世記』
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オロモルフ号の航宙日誌2567『日本と韓国の名字55』  投稿者:オロモルフ  投稿日:2008年 5月 5日(月)11時37分56秒
  ■日本と韓国の名字55(韓国に多い一字苗字の日本での歴史3)

◆◆◆〈金〉◆◆◆(続)

歴史(続):
(2)武蔵の金氏
 新羅族とされる。

『続日本紀』の天平五年(733)六月二日に、「武藏國埼玉郡新羅人徳師等男女五十三人依請爲金姓」(・・・男女五十三人、請願によって金姓となす)
 このあたりには新羅人がかなり移住していたらしく、新羅郡(新座郡)がある。

(3)金公
 拾芥抄に見える。

(4)金臣
 姓名録抄、拾芥抄に見える。「こがね」と読む。

(拾芥抄は鎌倉時代に成立したとされる百科全書。姓名録抄は群書類従などにあるようですが未詳。いずれも見たことありません)

(5)阿倍氏流
 阿倍氏は古代の天皇にまで遡る著名氏族ですが、奥州の阿倍氏の系統に金爲時、金爲行、金則行・・・など多くの〈金〉が見えます。
〈金〉氏がもっとも栄えた地が奥州らしい。
 ただし史書に名が残る金・・が新羅系なのか、阿倍の末裔なのかは不明らしい。
 子孫は〈金野〉、〈紺野〉など・・・。

[続く]
 

オロモルフ号の航宙日誌2566『ドラゴンズ日記:セコイ』  投稿者:オロモルフ  投稿日:2008年 5月 4日(日)12時22分32秒
   昨日は小笠原が乱調で大敗でした。
 打線も眠ったまま。
 前に書きましたように、昨日の先発は本来なら朝倉で、今日が小笠原です。それを変更したのは、順番なら広島第一戦の筈の中田が阪神に強いので一日繰り上げて阪神戦に登板させ、広島には朝倉を持ってくる――という戦法なのでしょう。
 朝倉は広島に強いのです。

 私はこういうセコイ投手起用に反対です。投手のバイオリズムを考えて、順序正しく起用するべきです。
 激しい優勝争いをしている終盤ならやむを得ませんが、まだ序盤であり、無理をする必要はまったく無いと思います。
 

オロモルフ号の航宙日誌2565『小学生の日本神話1』  投稿者:オロモルフ  投稿日:2008年 5月 4日(日)12時20分39秒
   新しく小学生向きの日本の神話を書いてみたいという希望がありまして、その準備です。
 まずは過去の代表的な同種本を分析してみます。
(備中處士さん、その他の方々、随時アドバイスをお願いいたします)

▼出雲井晶さんの本の分析

◎出雲井晶『母と子におくる教科書が教えない日本の神話』産経新聞ニュースサービス(平成十年四月)

 平成十七年で25刷まで出ているロングセラーです。
 とても良い本だと思います。
 小学生でも読める日本の神話の本としては、近年最高でしょう。
 私の感想としましては、「イラストの雰囲気」「ふりがなが全漢字ではない」「まえがきに母親への言葉がある」の三点が瑕瑾のように思えます。

(目次)
知性と慈愛に満ちた、すてきな日本のお母様方へ
(上は母親への言葉。以下が本文)
すばらしい私たちの先祖の古代人たち
天地のはじめ
国生み(日本の国のはじめ)
神々の誕生
黄泉の国
天照大神
須佐之男命
天の真名井の誓い
天の岩屋戸
大気津比売神
八岐の大蛇
大国主命
少名ヒ(田+比)古那神
高天原の使者
豊葦原の瑞穂の国へ
山幸と海幸
鵜葦草葦不合命
(以上が本文。下は子どもたちへの言葉)
愛する日本の子どもたちへ

◎組版の形式
 A5判で177頁です。本文はイラストを入れて167頁です。
 文字の大きさは、11.5ポの明朝体のようです。
 したがって七掛けとしますと、元は16ポになります。
 一頁あたりの行数は16行、一行は42字ほど。
 したがって一頁あたり672字です。
 前後左右はあまり空いていません。
 用紙は厚手の堅い紙で、やや捲りにくいです。
 イラストは60葉ですが、大小さまざまです。
 頁に換算しますと、大略、40頁になります。
 したがって本文の文章は、167−40=127頁です。
 字数にすると、127×672=85344字、400字換算で213枚。
 しかし余白がかなり取られますから、多く見積もって200枚でしょう。
 小学生向けとしては、十分な字数です。

 以下、内容の吟味に移ります。

▼書影
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オロモルフ号の航宙日誌2564『雑談』  投稿者:オロモルフ  投稿日:2008年 5月 3日(土)11時46分12秒
  ▲トナー切れ

 マイクロフィルムを電子化しまして、それをプリントしているのですが、途中でトナー切れになってしまって大あわて。
 いつも使っている通販カタログには無いので、インターネットで探して申し込んで、なんとか間に合いました。
(連休の中休みの30、1、2日までに何とかしないと、その後は動けませんので焦ります)
 それと、綴じるためのファイルとか用紙とかを注文。散財です。
 そのうえ、A4用紙の中央部分にだけプリントされるので、恐ろしく見にくい。
 そこで、とくに読みたい箇所は、マイクロフィルムそのものからコピーすることにしましたが、果たしてうまくいきますかどうか・・・。

▲薬代

 そうこうしている間にも、私自身の内科の薬を貰いに行ったり、歯科に行ったり、蘭姫の薬を貰いにいったり、これまた散財です。
 後期老人医療よ、どうしてくれる!
 現在の少子化を招いたのは俺たちの世代ではないぞ!
 いま75歳以上の世代というのは、平均して三人とか四人とかの子供を育てた世代です。
 その養育に多くの費用をかけ、さらにその子供たちが今では成人して働いて、たくさんの税金を納めています。
 つまり75歳以上の世代というのは、二重三重に国の財政に貢献しているのですよ。
 それをこんなにないがしろにしていいんでしょうか。
 自民党は姥捨党に党名変更すべし。

▲日々草

 数日目に植えたばかりの日々草の花が、はやくも増えはじめました。
 凄い生命力です。
 そのうちまた写真に撮ります。

▲小学生のための日本神話

 準備の初めとして、出雲井さんの本を分析しようと思いますが、なかなか時間がとれません。
 

オロモルフ号の航宙日誌2563『日本と韓国の名字54』  投稿者:オロモルフ  投稿日:2008年 5月 3日(土)11時43分43秒
  ▲日本と韓国の名字54(韓国に多い一字苗字の日本での歴史2)

 以下、読みについては『苗字8万よみかた辞典』、歴史については『姓氏家系大辭典(太田亮)』および『新編姓氏家系辞書(太田亮・丹羽基二)』によります。

◆◆◆〈金〉◆◆◆

読み:「かにい」「かぬち」「かね」「きん」「こがね」「こん」
 つまり、〈金〉という漢字で表示される日本の苗字には六種類があります。うち「こん」は「こむ」とも書くので、これを数えると七種になります。
 太田亮の著作によれば後四種が古代からの代表で、とくに「こん(こむ)」が多い。
 したがって「こむ」の箇所にあります。

歴史:
(1)新羅族
 新羅王の氏、金閼智の後裔とされる氏族。

『続日本紀』の大宝三年(703)十月十六日に、「僧隆観還俗。本金。名財。沙門幸甚子也。頗渉藝術。兼知サン暦。」(僧の隆観を還俗させた。もとの姓は金で名は財。沙門幸甚の子である。占いに通じまた算術と暦法に通じていたからである)
 この年の記述には、金姓の使者が何人か新羅から来たことや、新羅から漂着した人を帰還させたことなどが記されています。

『続日本紀』の神亀元年(724)五月十三日に、「従六位上金宅良。金元吉並国看連」の姓を賜った――とあります。

『続日本紀』の延暦二年(783)七月十八日に、「左京人散位従六位上金律順賜姓海原連。右京人正六位上金五百依海原造」(左京の金律順に海原連の氏姓を賜り、右京の金五百依に海原造の氏姓を賜った)とあります。

『続日本後紀』の天長十年(833)四月八日に、「投化新羅人金礼眞等男女十人貫附左京五條」とあります。

 この他万葉集などにも。
 さして高い位ではありませんが、都やその周辺に新羅王族の末裔を名乗る〈金〉姓の人たちがいたことが分かります。
[続く]
(写すだけで大変で、疲れますので、隔日にいたします)
 

「道鏡事件の真相」(6)  投稿者:ハチマキおじさん  投稿日:2008年 5月 3日(土)10時27分9秒
  D4 天平宝字五年以降孝謙上皇の寵愛を受ける
 淳仁天皇は、761(天平宝字五)年10月13日に保良宮(ほらのみや)に遷都しました。10月28日の詔によれば、平城京を改造するためのようです。保良宮の造営は二年前から始まりました。淳仁天皇はここを北京と位置づけたかったようです。ところが、翌年五月の淳仁帝と孝謙上皇の対立、それによる平城京への帰還によって都としての機能を失いました。保良宮は、瀬田川の右岸の滋賀県大津市国分付近にあったと推定されています。

 この保良宮への遷都によって、当然孝謙上皇も移りました。ここで病を得た上皇の治療に当たったのが道鏡だったわけです。この時、上皇は四十四歳でした。前年に母・光明皇太后を亡くし、老いを感じ始めた矢先の病に独身の上皇は不安と寂しさを感じていたのではないでしょうか。そのような時、厳しい修行に鍛え上げられ呪験力で病を治してくれた道鏡を、上皇はこの上なく頼もしく感じたことでしょう。道鏡の年令は分かりませんが、恐らく六十前後ではなかったでしょうか。やがて上皇の信頼は、道鏡への愛に変わっていったのです。

 孝謙上皇と道鏡との関係は、実際にどのようであったか分かりません。しかし、床を共にしているのではないかと噂されるほどに、上皇の寵愛は深かったようです。
『日本霊異記』下巻三十八では次のように書いています。
「弓削氏の僧道鏡法師は、皇后と同じ枕で交通し、天下の政(まつりごと)を相(たす)け摂(と)り、天下を治む」
このように噂されたためでしょうか、淳仁天皇は上皇に忠言したようです。
『続日本紀』は、762(天平宝字六)年5月23日の記事で次のように伝えています。
「高野天皇(孝謙上皇)と淳仁天皇が仲違いした。このため、共に保良宮から平城京へ帰り、天皇は中宮院に、上皇は法華寺に入御された。」
そして、不仲になった理由を次の記事が伝えています。
「762(天平宝字六)年6月3日 五位以上の官人を朝堂に呼び集めて、上皇は次のように詔した。「… こうして、今の帝(淳仁)を立てて年月を経る間に、淳仁帝は朕に礼儀正しく従うことなく卑賤の者が仇に言うが如く、言うべきでないことを言い、すべきでない行いをした。およそそのようなことを言われるべき朕ではない。 … 政治のうちで祭祀などの小さなことは淳仁帝が行い、国家の大事と賞罰の二つの事柄は朕が行う。 …」と。」
ここで、「言うべきでないこと」、「なすべきでない行い」とは道鏡を寵愛したことに関連していると考えられています。淳仁帝は、上皇の道鏡への寵愛が度を外れているとして忠言したのでしょうが、上皇の怒りをかってしまったのです。孝謙上皇は、淳仁帝を非難した後、政治の実権を自らが執ると宣言したのです。これも、淳仁帝の後ろ盾である藤原仲麻呂の権力が薄れてきた証と言えます。一方で、道鏡という精神的な支えを得た孝謙上皇が、聖武直系の誇りと政治への意欲を取り戻したとも言えます。そして、藤原仲麻呂の乱(764年8月)の後、淳仁帝を廃し自ら重祚して称徳天皇となるのです(764年10月)。以後、道鏡は異例の出世を続けることになります。

http://www12.ocn.ne.jp/~koushin/

 

オロモルフ号の航宙日誌2562『ドラゴンズ日記:九連戦』  投稿者:オロモルフ  投稿日:2008年 5月 2日(金)12時28分43秒
   昨日は辛勝でしたが、まあ、勝ちは勝ちです。横浜に二勝一敗は最低の仕事です。本当は三連勝できた筈なのに、打線が焦っておりますね。とくに軟投に弱い。下柳タイプに弱いのです。

 さて、3日から11日まで、九連戦があります。
 問題は投手起用ですが、幸いにも、ドラゴンズの場合は、先発投手が潤沢です。
 起用を推理してみます。

5月3日(ナゴドで阪神戦)→朝倉(中七日)
5月4日(ナゴドで阪神戦)→小笠原(中七日)
5月5日(ナゴドで阪神戦)→吉見(中七日)
5月6日(ナゴドで広島戦)→中田(中六日)
5月7日(ナゴドで広島戦)→川井(中六日)
5月8日(ナゴドで広島戦)→川上(中六日)
5月9日(東京ドで巨人戦)→朝倉(中五日)
5月10日(東京ドで巨人戦)→小笠原(中五日)
5月11日(東京ドで巨人戦)→吉見(中五日)

 もし9日にチェンを先発に使うと、巨人戦の三人も中六日になりますが、おそらくチェンは中継ぎに使うでしょう。鈴木の故障で中継ぎが不足していますから・・・。

 山井が故障して二軍にいますが、故障していなければ、6日か9日は山井になり、全員が中六日以上という黄金先発スタッフとなったのに、本当の惜しいです。

 ちなみに、川上がしばらく休んでおり、かつ山井と鈴木が故障していても、四月末までのチーム防御率はたったの1.88です。
 防御率が2点以下のチームはセではドラだけです。
 昨日も1点しか取られていませんから、また下がって1.85になりました。
 

オロモルフ号の航宙日誌2561『日本と韓国の名字53』  投稿者:オロモルフ  投稿日:2008年 5月 2日(金)12時27分4秒
  ◆日本と韓国の名字53(韓国に多い一字苗字の日本での歴史1)

 二本の一字苗字の一覧は終わりました(文字化け防御のための●▲▼が多くて恐縮でしたが)ので、次に、韓国における苗字のベスト20につきまして、それと同じ漢字で表される日本の苗字の歴史を、太田亮先生の本で調べてみることにします。
 また日本での読みの種類も(つまりは苗字の種類を)、『苗字8万よみかた辞典』で調べてみます。

 韓国の資料では、上位20は次のとおりです。
 全部一字苗字です。

1.김(金)キム:9 925 949
2.이(李)イ:6 794 637
3.박(朴)パク:3 895 121
4.최(崔)チェ:2 169 704
5.정(鄭)チョン:2 010 117
6.강(姜)カン:1 044 386
7.조(趙)チョ:984 913
8.윤(尹)ユン:948 600
9.장(張)チャン:919 339
10.임(林)イム:762 767
11.오(吳)オ:706 908
12.한(韓)ハン:704 365
13.신(申)シン:698 171
14.서(徐)ソ:693 954
15.권(權)クォン:652 495
16.황(黃)ファン:644 294
17.안(安)アン:637 786
18.송(宋)ソン:634 345
19.유(柳)ユ:603 084
20.홍(洪)ホン:518 635

◆決意

 敬老の精神の無い政党には投票しない。
 敬老の精神の無い掲示板には参加しない。

 考えてみると、投票すべき政党が見つからない。掲示板もほとんど無い。そもそも年齢を示さない掲示板がほとんどです。私は最初に書き込む時に示すようにしておりますけど・・・。敬老の精神の重要性って、奈良時代から正史に書かれていますよね。ハチマキおじさんの書き込みにもありました。いまの世の中、敬老の精神そのものが失われていますから、敬老の精神を持つ政党なんてどこにも見つかりません。わたしは研究所から大学に移籍した時、敬老の精神皆無の実態を見聞して愕然としました。若く元気のある助手と腰の曲がった老教授とをまったく区別せずに、教室模様替えの重い荷物持ちをさせるのです。それが平等な社会だと思っているのです。若い人たちは・・・(怒りと諦め)。
 ニュースにもありましたが、早稲田の学生が電車の中で老人に席をゆずらないという苦情が大学に寄せられていて、大学で注意しているとか・・・。
 

オロモルフ号の航宙日誌2560『A・C・クラークのNF14』  投稿者:オロモルフ  投稿日:2008年 5月 2日(金)12時25分46秒
  ◆NF14『ASCENT TO ORBIT』(特別)

◎アーサー・C・クラーク『ASCENT TO ORBIT:A Scientific Autobiography / The Technical Writings of Arthur C. Clarke』John Wiley & Sons,Inc.(1984)

I  THE MARCONI INTERNATIONAL FELLOWSHIP
II  FIRST FLIGHTS
III  WAVES AND CIRCUITS
IV  THE BEGINNINGS OF SATELLITE COMMUNICATIONS
V  ROCKETS AND WARFARE
VI  AMATEUR ASTRONOMER
VII  INTRODUCTION TO ASTRONAUTICS
VIII ELECTRONICS AND SPACE−FLIGHT
IX  THE SPACE ELEVATOR− AND BEYOMD
X  MATHEMATICAL RECREATIONS
XI  BEYOND THE GLOBAL VILLAGE
POSTSCRIPT

 クラークのノンフィクションは、数多くあります。本書の資料欄によれば、この年1984年までに28冊出ています。SF小説が29冊ですから、フィクションとほぼ同数出ていたことになります。
 その後フィクションが増えたと思いますが、日本ではノンフィクションの翻訳は少ないので、クラークの科学解説者としての側面はごく一部しか知られていません。
 このシリーズは翻訳NFの紹介なのですが、最後に特別として、未訳の本書をご紹介します(サインのところで出しました)。
 フィクションと同じくらい出されてきたクラークのノンフィクションの中で最高峰とされる著書です。
 この年までにクラークが発表した科学技術に関する論考や論文を集めた本です。衛星通信の有名論文もあるし、電気回路理論の地味な論文もあるし、雄大な宇宙エレベータの論考もあります。
 A4ハードカバーの大型豪華本です。
 未訳なのにここにあえて記載しましたのは、最高峰とされている事、および、おそらくは永遠に翻訳されないだろう事が、理由です。

(このシリーズ完。クラークさんに感謝)

◆書影
 ↓↓↓↓↓
 

Re.Re.「道鏡事件の真相」(5)  投稿者:オロモルフ  投稿日:2008年 5月 2日(金)12時11分3秒
   なるほど、サンスクリットの研究もなされていたのですね。
 当時の僧侶たちは日本有数の秀才ぞろいだったでしょうから、当然なのかもしれません。
 そういう文献が残されていると面白いのですが・・・。
 

Re:遥かエジプトの地より  投稿者:オロモルフ  投稿日:2008年 5月 2日(金)12時06分2秒
   解法者さん、ファイトあるなあ・・・!  

Re.Re.「道鏡事件の真相」(5)  投稿者:ハチマキおじさん  投稿日:2008年 5月 2日(金)09時35分11秒
  「ああいう文字が道鏡の時代にすでに日本に入っていて一部インテリは読めたのでしょうか。」

「道鏡」横田健一(吉川弘文館)には、「わが国に渡来した帰化人の中にも、天平八年(736)来朝した菩提遷那のような天竺人はもちろんだが、…天平勝宝六年(762)に来朝した鑑真一行にも…インド文化圏の人がいた。鑑真ら唐僧にも梵語を解する者は少なくなかったろう。ゆえに奈良時代の仏教界でも、梵文研究がある程度おこなわれていたと考えてよい」とあります。

一部の僧侶は読めたと思われます。

http://www12.ocn.ne.jp/~koushin/

 

遥かエジプトの地より  投稿者:解法者  投稿日:2008年 5月 1日(木)20時21分48秒
   とにかく暑い 個人旅行で町のインターネット屋を探して投稿している。
ここに投稿するにも許可がいる。
 エジプトはそういう国だ。

 ご無沙汰している間にも阪神は快調で、中日にも五分、その後も順調

 ハチマキおじさん 熱砂にうだりながら読んでいますよ。
 

オロモルフ号の航宙日誌2559『ドラゴンズ日記:四月末』  投稿者:オロモルフ  投稿日:2008年 5月 1日(木)12時15分24秒
   昨日はいささか後味の悪い負け方でしたが、しかし開幕以来一ヶ月強の四月末までの成績は立派なものでした。
 この五年間の四月末までの成績を記しておきます。

2004年 10勝10敗1分(リーグ優勝)
2005年 16勝9敗0分(リーグ二位)
2006年 12勝8敗1分(リーグ優勝)
2007年 13勝12敗1分(リーグ二位/日本一)
2008年 16勝9敗2分

 五月以後が大切であることが分かります。
 

オロモルフ号の航宙日誌2558『プロ野球データブック』  投稿者:オロモルフ  投稿日:2008年 5月 1日(木)12時08分36秒
  ■今月の本1

◎日本野球機構(編)『OFFICIAL BASEBALL GUIDE 2008』共同通信社(200802)

 歴代のプロ野球球団選手の記録と、昨年の詳しい記録を集めた本です。
 じつは、二月に送金して申し込んだのですが、四月末になっても到着せず、変だと思って電話したところ、二月に送ったとの返事。
 しかし届いていないので、再度送ってもらいました。今度は郵便で・・・。
 同じ苗字のお宅が近所に数軒ありますので、間違って行ってしまったのでしょう。
 時々そういう事があります。
 郵便だと町の郵便局に返してくれる事が多いのですが、メール便などではそうもいきません。
 転居先への転送サービスもありません。
 それが郵便局以外の配送の不便さです。

 で、そのデータ集ですが、とても使いにくいものです。
 昨今ではインターネット上にいろんなデータが出ていますが、オロモルフの能力ではなかなか使えませんので、主に本や自分のノートで見ているのですが、この資料集は頭が痛くなります。
 でも、とにかく公式の資料集なので、保存しておきます。
(早速少しだけ利用しました。中田の去年の四死球データです)

■書影
 ↓↓↓↓↓
 

オロモルフ号の航宙日誌2557『A・C・クラークのNF13』  投稿者:オロモルフ  投稿日:2008年 5月 1日(木)12時07分27秒 <