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日本語の源流をたどる。

 投稿者:今井欣一メール  投稿日:2007年 5月15日(火)17時29分8秒
  表題のサイトを運営しております。このHPは5万分の1地形図にのる約三万種の「峠、岬、島、山、川」と関連地名を分析して、各地名群の命名年代と語源を推定し、縄文~弥生時代に使われた言葉の一端を再現いたします。幸運にも、『縄文・弥生の地名』『地名考古学』『倭語の法則』の各巻がグーグル・ヤフーの検索サイトの第一位にランクされております。

http://www.imaken.biz/

 
 

RE:オンナとオトコの考古学

 投稿者:sako  投稿日:2007年 3月28日(水)23時09分47秒
  水島さま
弁天町の講座に来てくださったんですね。
投稿、ありがとうございました。
春休み、バタバタしてて、お返事遅くなり、ごめんなさい。
「古代において、女性は複数の・・・」ってところがミソですよね~
魏志倭人伝にも、男性は複数の妻をもつと書いており、
「当時は一夫多妻制だった」といわれるのですが
だからといって、女性が一人の夫しかもっていなかった、とは書いてない(^_^;)
歴史を書く人もそこに登場する人も、やはり男性が中心だから
女性のことは、特別な出来事でもない限り、あまり書かれることがない。
当然のことながら、
書いてないということと、そういう事実がない、ということは
イコールではありません。
歴史に書いてないことを考える手がかりを与えてくれるのが考古学です。
だから、考古学はおもしろい!!
現代的な価値観から解放されると、いろんな人間像が見えてきます。
水島さんも、また何かおもしろい発見があったら
教えてくださいね。
 

オンナとオトコの考古学

 投稿者:水島メール  投稿日:2007年 2月11日(日)20時47分52秒
   2007年2月8日 大阪弁天町学習センターでの「母もがんばる、父もがんばる」
のレジメで、NO,3 3.古墳時代のオンナとオトコ
●男女合葬例のところで、
佐古和枝先生は、「嫁」が見当たらないと言ってましたが、

 当時は、母系家族社会もあったのでは?
つまり、経済力、人脈力(血族)、地盤力(地域力)が、男性より優れた女性の存在があり、
女性は、「嫁」に行くとは、限っていなかったのでは?
オトコが、「婿」または、「通い婚」・・・。
古代において、女性は、複数の男性と、生涯に「マグ合う」ていたのでは?

 下記の本の中に、このような発言を、見ました。
「馬・船・常民」東西交流の日本列島史 森 浩一、網野 善彦 著 河合出版
(Ⅲ)歴史の原像 二 隠された女性の活躍
P217 森 ・・・よく六世紀頃の立派な古墳に、男女の人骨が合葬されているような場合、現在の家族制度の上にたって、被葬者をわりだそうとするけれども、これはとんでもないことです。

P219 網野・・・本当に、「夜這い」の習慣が、昭和三十年代には、兵庫県では行われていたというんです。これは西日本ではどこでもそうだったようです。それで、ある男の人が子供を抱いて、これは「あいつに似ているだろう、だからきっとおれの子じゃないよ」と言っている。そのことを意識して。しかもちっともそれに抵抗感がないというのです。だから「夜這い」の習慣のあるところでの男女関係や子供に対する感覚は、現代とは大分違うのではないでしょうかね。
 

(無題)

 投稿者:tt  投稿日:2006年 5月22日(月)18時49分9秒
  初めまして偶然見つけました。ここは昔の遺跡関連の掲示板だと知り、幾つか質問したいのですが
1・・神話の天皇は何代までで存在が確認されてる天皇は誰が最初ですか。
2・・昔学校(約15年前)で神功皇后は想像人物だと習いましたが最近ネットで神功皇后の母親のお墓が見つかり石棺に日本書紀の記述通りの大和言葉???での名前と石棺に刻まれた文字が一致ししてると知りました。ということは神功皇后は実在してたと思います。では、日本の古墳で石棺、木簡、墓誌等どれでも良いので日本書紀、古事記の記載を裏付けるようなものに記されてる皇族は誰が一番古いのですか。
◎◎因みに私は1970年代に太安万侶の墓誌が発見されたことから日本書紀の記述は概ね当てに出来ると思います。現在の段階で発見されて無くても見つかってないだけかも知れないですから。太安万侶だって偶然墓誌が発見されるまで単に裏付けがない文章上の存在だったし。◎◎◎
3・・・もし、天皇陵が厳密に調査されたら高松塚壁のようなのが見つかる可能性はあるのでしょうか。
4・・・不敬な事を承知で書きますが古墳の石棺に記されてる昔の大和言葉???で書かれて日本書紀と一致した男性皇族や天皇のものだった場合、石棺の人骨と現在の皇族男子は男系繋がりかどうかは遺伝子検査をしようと思えば鑑定できるのでしょうか。Y遺伝子の繋がりが有るかどうか。そして連続性が有るかどうか。

【現在も存在する天皇家の墓を暴くという不敬なことを書いてしまいましたが、こう考えたのは理由があります。個人的に天皇家自体を世界遺産の人間版で登録出来ないのかなと思いました。ギネスブックにも現存する世界最古の皇室だからです。その事を思いついたとき絶対に特定の思想を持った人達が何かしらの事で上の1~4のような文句や神話だからと発言するかもと思いました。常々反対してる人達は税金云々と五月蠅いからいっそのこと世界遺産の人間版にすれば、税金が使われることに対して大人しくなるかなとも思いました。】

最後に、私は天皇家の断絶が何回か起こってたとしても気にしませんし神話時代も含めて125代なのは承知してます。それは神がアダムとイブをつくったりしたのと同じ宗教的、神話的な考えです。現在ではアジア人も含めて人類の先祖はアフリカ人らしいですね。実際神が人間をヒョッコリ作るはずがないし、そんなのはキリストを産んだ【マリア様が処女で妊娠なんて現実的に有るはずがないし】、“大工の仕事”をしてた【若き日の彼】が女性と付き合ったことがなくて一度も男女の関係になったことがないとは余程の引きこもりじゃ無い限り、、、だと思います。つまり、処女妊娠や神がアダムとイブをつくった等本当でないこと、神話も含めての男性しかなれない男女同権でないローマ法皇がそれを教義のなかでは実話として誰も突っ込まずに継承してるのと同じで、神話時代も含めて男系で継承してる日本皇室もそれと同じだと思います。

日本の神話時代も含めて今日まで神道の総元締めとして断絶することなく男系継承してきた皇室を世界遺産の人間版に出来ないかなと思いました。西欧王室やローマ法皇が世界遺産の様なの物に登録できたら日本もして欲しいです。神武天皇が神話だと分かってます。マリア様の処女妊娠が嘘の神話だということも分かってます。人類の祖先が遺伝子検査でアフリカ人だと分かってます。要は嘘の神話も含めて男性しかなれないローマ法皇が現在まで教義上は継承してるのと一緒です。
私は天皇陛下万歳では有りません。神話時代も含めての現存する世界最古で男系で皇統が継続してるからです。
 

発想を柔軟に

 投稿者:松本俊明メール  投稿日:2006年 4月15日(土)17時59分20秒
             発想を柔軟に
                       松本俊明
 11月12日、13日に第6回山陰遺跡ネットワーク会議(代表 関西外国大学教授佐古和枝)が斐川町で開催された。テーマは「出雲神話と荒神谷遺跡」である。初日は國學院大學の関和彦先生から「記紀・風土記から見る古代出雲像」と題して記念講演があり、2日目は荒神谷遺跡等の見学会があった。
 荒神谷遺跡は、昭和59年の夏、358本の銅剣が整然と並んで出土したもので、その数は全国の弥生時代銅剣の総発見数を上回っていた。出土の状態は、底面には淡褐色の粘土を敷いて平坦にし、その上に銅剣の刃を起して接する状態で4列に並べて置き、その上に粒子の細かい粘土で覆った後に土を盛っている。
翌60年の夏には16本の銅矛と6個の銅鐸が出土し、「出雲から大量の青銅器出土」の報はまさに衝撃的で、またたく間に全国に伝わったことはまだ記憶に新しい。
 これらの青銅器を「いつ、だれが、どこで」つくり、「いつ、だれが、なぜ」埋めたのか今でも謎となっている。
 関先生の説によれば、「うむ」というやまと言葉を漢字で表わすと「埋む、生む、産む、膿む」の意味があるとのこと。
「生む」は草木が生え出る形で、草木が土上に出る様を表わしている。また、「埋む」は草木の種を埋めると発芽し、目が出ることから「生む」と同一語であるとのことである。
「埋む、生む、産む、膿む」は共通する意味合いを含んでいるのではないか。
 このことから、古代の人々は死者を埋葬することは死者の命を再生させる行為として考えたのではないのか。土葬が最近まで続けられてきたのはこの様な考え方が持続していたからであろう。
荒神谷遺跡の青銅器はなぜ埋められたのか。今回、埋められた場所を見学したが、発掘現場は回りを小山で囲まれた標高28mの小丘陵の急な南斜面で、下の広場から5m程度の高さの所で見つかっている。
その場所を見た時、埋めた青銅器に雨水が入りこまないような斜面で、人が見つけ難いような奥まった場所で、また祭祀を行うには適当な広場があるという印象であった。
地元の考古学者の説明によれば、「うむ」という意味から大きく4つの説があるとのことであった。
① 祭祀説――青銅器を埋めて地鎮したという説。青銅器を埋めることも、再び取り出すことも、重要な祭りの行事である。
② 保管説――神聖な場所に埋めて保管し、祭りのときだけ取りだして使用したという説。出雲の王が、配下の部族が祭る社に祭器である青銅器を配布するために埋めて保管したという説である。
③ 廃棄説――青銅器を使用した祭りが行われなくなったので棄てたという説。他国の勢力の手に渡らないように埋めた。
④ 隠匿説――他の強力な王族の侵入に、出雲王のシンボルとしていた青銅器を奪われないように隠匿しておいたという説。

 未だ、それは謎となっている。
 今後、出雲周辺の遺跡の発掘・調査や研究がさらに進んでくると、古代における出雲の地位の見方も変わってくるかもしれない。
「考古学」は、人間が書き残した記録や書物等の資料が無い時代を、過去の人間が土の中に残したあらゆる物質資料をもとに歴史を復元する学問である。
多くの歴史学者や歴史愛好家が現在までの事実から想像をめぐらして様々な仮説を立てている。
古代の人々の日常生活、庶民の様子、モノや道具類の形、技術、地域の様子等がわかってくると、その仮説が証明されたり、覆ったりする。
 そう言う意味では、考古学は理論物理学と論理思考が似ているように思える。
 1949年に湯川英樹博士が中間子理論でノーベル物理学賞を受賞された。1943年に博士が立てた中間子理論(質量が電子と陽子の中間の中間素粒子が存在する)は、1947年にイギリスの学者が宇宙線の中に中間子が存在することを発見し、湯川博士の理論の正しさを実証したことが受賞の理由となった。
 今回、山陰遺跡ネットワーク会議に出席して、何事もそうであるが、固定観念にとらわれないで、柔軟に発想することが大切であることがあらためて認識できた。
 六十才を過ぎて、頭が堅くなり、何事にも柔軟に対応することができなくなってきた今日この頃である。困ったものである。
                        (以上)
 

「むきばんだを歩く会」雑用係より

 投稿者:SAKOメール  投稿日:2006年 4月14日(金)16時31分3秒
  松本さま
「むきばんだを歩く会」のこと、投稿していただき、ありがとうございました。
松本さんが作ってくれた植物のデータを、このホームページにアップさせてもらいました。
写真も、大半が松本さんの撮影分です。
1年間、みんなで歩いて、かなりの情報が蓄積されましたよね。
植物オンチのサコも、おかげさまで少しづつ木や草の名前、覚えました。
キノコ鍋したり、木の実でお酒を作ったり、来月は春の山菜鍋など、
美味しい体験学習(^_^;)もあったりして、とても楽しいです。
今年度はもう少し、弥生時代と植物のつながりを 探求していきたいと思っています。
今後とも よろしくお願いしまーす。
 

むきばんだを歩く会に参加して

 投稿者:松本俊明メール  投稿日:2006年 4月13日(木)21時37分1秒
   「むきばんだを歩く会」に参加して
                       松本俊明
 今年の3月に、34年間の会社勤めを終え、永住先と決めた大山に近い伯耆町に引越してきた。引越しの整理に追われているなか、新聞に「むきばんだを歩く会」の参加者の募集に目がとまった。以前から、郷土の遺跡について勉強してみたいと思っていたので早速申し込んだ。
むきばんだは、今から約2000年前に栄えた国内最大級の弥生時代の集落跡である。「むきばんだを歩く会」はむきばんだ遺跡のある妻木山と晩田山の自然を楽しむ会で、むきばんだの遺跡の保存に尽力された関西外国語大学の佐古先生が中心となり、県自然観察指導員の鷲見先生やむきばんだボランティアの皆さんを始めとして今回参加された方を含め約20名のメンバ-とで、4月から毎月1回2時間程度むきばんだの遺跡の周辺を散策している。
むきばんだに生息している草木等の植物を各人好きな様に、写真を撮ったり、手で草木に触ったり、匂いを嗅いたり、時には葉っぱを口に入れて味を確かめたりして楽しんでいる。

・雪が解けて植物の芽が息を吹き返す早春
・丘陵や雑木林の木々に黄緑色の若葉が萌える春
・強い陽射しをいっぱいに浴びて一斉に花を咲かせようとしている多くの草木の夏
・雑木林が少しずつ紅葉を始めると木の実のシーズン到来、ヤマブトウ、ガマズミ、ナナカマドなど。日を追って木々の葉が色づき、実は熟し、すべてが美しく色づく秋

早春から秋にかけて日をおって変化する植物の様子を観察している。
また、生息している花木の名前の由来や、その花木の効能なども調べている。
文学や詩歌等でその名前や逸話をよく知っている草木を実際に目にした時には格別な感動がある。

「テイカカズラ」――(新古今集を編修した歌人藤原定家の墓石にまつわりついて咲いた花で、彼を慕った女性が墓石にまつわりついて泣き伏せ、その霊が凝り固まって生えてきたのがこのテイカカズラだそうである)
「サルトリイバラ」――(一般には山帰来と呼ばれているその昔、梅毒にかかり、村を追われた男が山でこの草を飲んで治り、山より帰ってきた故事に基づいている)
「ムベ」――(延喜式にムベの果実を朝廷に献上したとある)

現在、約130種類の花木について四季の変化に会わせて写真を撮っている。よく「名」は「体」を表わすというが、花木の名前の由来をたずねると、その花木の持っている特徴なり、効能が名前の中に凝縮されているようにさえ感じられる。

「ウツギ」ーー(打つ木、空木)
「ムサシアブミ」――(武蔵鐙―昔海であったことを示す植物)
「ムラサキシキブ」――(紫式部)
「サルトリイバラ」――(山帰来)
「ビナンカズラ」――(美男蔓―実の油を髪の整髪油として使用)

今回、むきばんだ周辺を散策して驚いたのは帰化植物の多さである。ヒメジョオン、ハルジオン、セイタカアワダチソウ、ヨウシュヤマゴボウ、ブタナ、マメグンパイナズナ、メルケンカルカヤ、コバンソウなど
植物の世界でもグローバル化が進んでいるのであろうか。
これからもむきばんだの遺跡の周辺を散策し、花木と地元との関わり合いなど調べてみたいと思っている。
 

智頭の桜

 投稿者:SAKOメール  投稿日:2006年 4月13日(木)12時46分47秒
  智頭の情報、ありがとうございました。
智頭の桜並木は圧巻ですよね。
和田先生のお話、いかがでしたか?
また教えてください。
 

【講演会】出雲文化と大和文化について(2006年4月15日(土))

 投稿者:智頭枕田縄文遺跡の保存活  投稿日:2006年 4月12日(水)03時00分26秒
  佐古先生、こんにちは。

智頭枕田縄文遺跡の保存活用を推進する会では今週末
下記日程・内容にて講演会を行うことになりました。

*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*
【講演会】出雲文化と大和文化について
日時:2006年4月15日(土) 14:00~16:00
場所:智頭町 保健医療福祉センター「ほのぼの」 ひだまりホール
 (住所:鳥取県八頭郡智頭町大字智頭1875 TEL0858-75-3211)
講師:和田萃 氏 (京都教育大学)

連絡先
智頭枕田縄文遺跡の保存活用を推進する会
TEL 0858-75-0193
*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*
追伸)
智頭町には千代川沿いに1.3kmに渡り180本の桜が咲く桜土手という場所があります。
今日(4月11日)現在、3部咲きです。
きっと講演会の開催される週末は桜が見頃になっていると思います。
 

どうも、どうも

 投稿者:SAKOメール  投稿日:2006年 4月 4日(火)20時30分32秒
  Mariさん 久しぶり!投稿、ありがとう。元気そうで、なによりです。ご指摘のように、世界遺産への登録には、あちこちで地元から反対の動きもあります。実際、遺跡でも観光地でも、心ない人達のイタズラは、なかなか防ぎきれず、残念なことです。でも、世界遺産になるほどの高い価値をもつ文化財が自分たちのまちにあるのだということは、きちんと評価して、大切にしてもらいたいな。観光客の人達が尾鷲にも来て、まちが活性化するアイデアをみつけてください。「尾鷲おでん」もしっかりPRしよう!
このサイトでも紹介していますが、いま出雲では、沈む夕日が美しいことで多くのカメラマンが集まる美しい宍道湖の背景となる島根半島で、日本最大の風車を26基も建設するという計画があります。『出雲国風土記』や出雲神話の舞台です。巨大な風車が林立したら、全国から神様がきても、吹き飛ばされるよね~(^_^;)たしか熊野古道でも、景観の問題で反対の声があがっていましたよね。もちろん、自然エネルギーの取り組みは大切なのだけれど、出雲とか熊野古道など、歴史的に意味のある景観は、大切にしてほしいと思っています。
それから、蛇足ですが、私の授業、あいかわらず板書しないけど、左手を後にまわしてた?そんなエラソーなカッコ、してたかなぁ・・・。よくGパンのポケットに手つっこんでるみたいだけど。反省、反省。後半は、「考古学者、見てきたような講釈し」ってやつですな。いいえ、じつは私は2000年前から舞い戻ってきた弥生人だったのだ(^_^;)
 

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